及川くんがネコになっちゃう話です










近所に小さなネコがいた。

黒地に白毛のすこし混じった、鼻ぺちゃで尻尾のみじかいメスネコだ。いくらか洋種の血でも入っているのかくしゃっとつぶれた目はブサイクで、だから俺は単純にブサと呼んでいた。

ブサは懐こいネコだった。奴の縄張りにしている通りを歩けば黒い小さな身体はすぐ俺をみつけて足下に擦り寄ってきたし、それは隣の家のおばさんやその向かいのじいさんに対してもそうだった。クロとかニャーコとか、ちがう名前で他の人に呼ばれて餌をもらっているのを何度か見かけたこともある。野良猫の名前なんてまあそんなものだ。

そして野良猫の行動半径はそれなりに広い。ブサがいるのは餌がもらえる隣家の鉢植えの横か、あるいは近くの空き地がだいたいだったが、黒ネコはときどきエッと驚くような場所にもその姿をあらわした。
そのうちのひとつが俺の家の庭だ。岩泉家は二階建ての一軒家で、家の前にはアルミの柵門があり、四方は背の高い塀で囲まれている。

普段は表の門も閉じているはずなのに、しかしどこから入ってきたのかあるいは登ってきたのか、ブサはなにげない顔でうちの庭にひょっこりとやって来た。昨日の昼のことだ。

部活のバレー部の練習は土曜日昼までだったから俺はそのときたまたま家にいて、めずらしいことに嬉しくなって台所の引き出しからかつおぶしを取り出してブサにやった。隣の家ではたまにいいネコ缶なんかももらっているようだったが、それでも野良猫は嬉しそうに俺の手からふがふがとそれを食べるのでかわいかった。

「ブサ、ブサ、おまえかわいいやつだなあ」

縁側に腰を下ろし、そう言って抱き上げてみてもブサはおとなしかった。おとなしいどころか、秋口の日差しが気持ちいいのか俺の膝の上にこてんと寝転がってうとうとまどろんでいたくらいだ。あんまりかわいいので、俺はついつい時間を忘れてふさふさのその腹を撫でていた。

そうしてそこへ、幼馴染の及川がやってきた。
「もう、岩ちゃんやっぱりここにいた。インターフォン鳴らしても出ないから、こっちだと思ったんだ」
サクサクとスニーカーで庭の芝を踏んで、ため息をつきながら及川は俺のほうにやってきた。中間考査が近いのでうちで一緒に勉強をする約束だったが、俺が待ち合わせの時間になっても出てこないので表から回りこんできたらしい。

「ああ、わりいわりい」

俺は謝ってブサの身体を膝から下ろした。突然抱き上げられた黒ネコはびくりと身を強張らせ、それから俺が手放すのにあわせて地面の上にひらりと着地する。せっかく気持ちよかったのにとでも言いたげな、恨めしげな目つきでブサは俺を見上げた。

「あー、わるかったって、ホラ、おまえもゴメンな」

言いながらくしゃくしゃと頭を撫でれば、悪い気はしないというふうにまた自分からすりつけてくるのだから単純だ。

「岩ちゃん、それ、なに?」

頭の上で、及川はぽつりとたずねた。そういえばコイツと一緒のときには、遭遇したことがなかったかもしれない。俺はブサの身体をもう一度抱き上げた。紹介するように及川の方へその顔を見せる。

「コイツ、最近このへんに住み着いたノラなんだよ。……ほら、ブサ、挨拶してみ」

ブサは高い声でニャアニャアとよく鳴くネコだったが、しかしそのときに限ってはなにも言わなかった。どころか慌てて嫌がって、俺のうしろに隠れてしまう始末だ。

「ヘンだな、いつもは人懐っこいやつなのに」
「ふうん。緊張してるのかな」
「ああ、まあ、そうかもな」

ブサはすっかり萎縮してしまっているので、俺はかわいそうなその背中をヨシヨシと撫でてやった。及川は黙ったまましばらくそれを見ていたが、やがて勉強しようかと言って俺の肩をたたく。

「ああ、うん。先に部屋行ってろよ。俺ももうちょいしたらもどるから」
「え、岩ちゃん、一緒にいこうよ」
「いや、俺もそうしたいんだけどよ、」

これ、と指した足元では、ブサがどっかと俺のサンダルの上にのって、ゴロゴロとくつろぎ始めているところだった。さっきまで嫌がっていたくせに、ネコの機嫌ってやつはまったく驚くほど現金なものだ。

「ああ、ほんと、かわいいなあ、おまえ」

俺がおもわずデレデレとその頭を撫でていると、及川はむすっとした手で俺のシャツをつかんだ。

「岩ちゃん、行こうよ。……せっかくおばさんたちいないんだから、」

勉強しちゃいけない勉強ができる時間でしょ。そういう意味合いを含んだ声だった。(高校生のいう「一緒に勉強」なんて、きっとたいていはそういう別のことだ)

及川と一緒に二階に上がろうか、単純な俺はすこし迷って、けれど手のひらの中で機嫌良さそうにゴロゴロいっているのをそんな理由で放りだすのもわるい気がして、結局すぐに行くからと及川に首を振る。

及川は呆れたようにため息をついて、靴を脱ぎ捨ててひとりで縁側に上がった。俺はちょっとわるいことをしたなという気分で、ブサはといえば、ひどく満足げな顔をして俺の指を甘く噛んでいた。

しばらくしてその日は二階の部屋に上がって、文字通りのほうの勉強をふたりでして、そうして夕方に別れた。俺はどうせ勉強なんてからきしなんだからテストは早々に諦めてそういうことをしたってよかったけれど、及川がいつになく静かに参考書をやっていたのでそういう雰囲気ではなかった。

すこしばかり残念だったが、まあいいやと思って玄関まで見送った。及川がまた明日ねと言って手を振ったとおり俺たちは明日も「勉強」の約束をしていたから、まあ、そのときでいいや、それくらいに思っていたのだ。


そうしてその次に会ったとき、及川はネコになっていた。

なんだか、身体が重いな。そう思って目を覚ました日曜の朝には、及川が俺の腹の上にのって、にこにことその目を細めていた。

眠たい目をこすりながら、俺は当然文句を言った。

「オイ、及川なにしてんだよ。おまえな、重いだろ、」
「フニャア」
「……え?」
「ニャン♪」

ごしごし、ぺろ、ぺろり。
丸めた手をくるくると動かして顔を洗い、その甲をきもちよさそうに舌で舐める。そんな仕草を見た瞬間おかしいと気がついて一気に目が覚めた。俺はバサリと起き上がり、及川の肩をつかむ。

「及川、おまえ、どうしたんだ、なあ、おい、」

驚いて揺さぶっても、及川はしかしきょとんと不思議そうに首を傾げるだけだった。
そうしてなにを聞いても返事はニャア、家族を頼ろうにも今日はあいにく全員がもう出かけてしまっていて、家には俺と及川のふたり、――いや、ひとりと一匹きりである。

母親には一応電話をしてみたが、朝は及川には会わなかったらしく、いつからこいつがこうなってしまったのかも結局わからなかった。及川は電話をかけているあいだ、俺の視線が自分にないのが気に食わないみたいにちょいちょいと俺の足にちょっかいをかけていた。驚くほどにネコらしい手つきだった。

「――なあ、おまえ、メシは一体なに食うんだ」
受話器を置いて、初めに浮かんだ疑問はそれだった。異常事態を理解するのになんとか身体が追いついてきたのか、思い出したように腹が減っていた。普段なら及川と相談して一緒に食べるところだったがこのありさまではまったく主食がわからない。

けれども及川はあいかわらずニャアニャア言って腰に抱きついてくるだけなので、俺はしかたなくおかかご飯と昨日の残りを机に出して並べた。

どちらかはまあ食べるだろうと思ってやってみれば、及川はかつおぶしの匂いがお気に召したのか、机の上に顔を出してそちらの匂いをしきりにかいでいる。気休めていどに箸も並べてはみたが、やはり手に取るようすはないので結局そちらの椀を床の上に置いた。

及川はくんくんと鼻をひくつかせ、四つん這いになったまま身を丸めてふがふがとそれを食べる。昨日の残りの煮物に箸を伸ばしながら俺は絶望的な気持ちになった。

もしかしたら、これはたちのわるい冗談なのかもしれない。そんな気持ちがきっとこころのどこかにあった。けれど本当にそうだったのなら、理性があるのなら及川もさすがにここまではしないだろう。しかしそのラインを及川はやすやすと越えてしまった。昼食はおかげでほとんど味がせず、母親が出掛けに作って行ってくれたらしい目玉焼きも半分ほど残して俺は食事を終えた。

及川は肩を落とした俺を心配するようにその顔を膝へと押しつけてくる。俺はくたびれた手でその頭を撫でた。目を細めたネコは満悦そうな口もとをして、ソファに座る俺の膝の上に乗ってくる。ネコといったって実際は百八十センチを優に超えたデカブツの男だ。俺の膝からかんたんにはみ出てほとんど上半身ですがっているような態勢なのに、及川はそれで満足らしく、ぺろぺろと機嫌よく自分の腕を舐めていた。かろうじて服だけはきていたが、それ以外の所作は完璧にネコだった。

(……そういえば、)

ネコといえば、やっぱりあっちもネコなんだろうか? 我ながら下世話だとは思ったが、一度気になってしまったものはもうしかたなかったし、昨日やらなかったから溜まってもいた。この異常事態そのものへの興奮みたいなものもたぶん、多少はあっただろう。それに、やってみたらもしかして及川の演技にボロが出るかもしれないんだからと自分に言い訳をして、その腕をつかむ。

及川はメシを食べて眠そうだったが、なんとかなだめすかし褒めそやして階段を登らせ、部屋に連れていってその服を脱がした。くすぐったそうに身をよじったり手を噛んだりしたものの、及川はたいして抵抗するそぶりも見せはしない。それをいいことにニャアだとかウーだとか甘える及川の喉元に甘く噛みついてベッドに押し倒し、その身体を撫でる。

いつもと同じように抱いているはずなのに、それよりずっと興奮した。ビクビクと震える及川の腹の上に跨り、胸をいじめてもてあそぶ。大きなネコはふにゃ、ふにゃ、と鼻をひくつかせてシーツを噛んだ。なんだかAVなんかでよく見るそういうプレイみたいだ。

俺はおもわず赤面して腰を浮かせた。下着の前はもうハーフパンツを突っ張るくらいに勃起していた。ちらりとそれを見た及川は、うー、うー、と手足をばたつかせて初めて俺に抵抗する。
やっぱり嫌なのだろうか、そう思って身体をどけると、しかし身を起こした及川は俺の股ぐらのあいだにちょこんと座って、そうして俺の下着に頬を押し当てた。直接的な刺激に俺は思わずうっと息を詰め、それからゆっくりと及川の頭を撫でる。

及川はうっとりとした目で俺に奉仕をした。両手をシーツの上に置いたまま使わず、頬骨をぐいぐいと俺のそれに押し当てるだけの単純な動作だったがたまらなくよかった。及川の頬に裏側を何度も強く擦られて、俺はあっけなく射精した。パンツもその上のハーパンも履いたままだったから生温さがひどく気持ちがわるくて、はあはあと息を切らしながら下ろすと、及川は不意にぺろりとその先端を舐める。

「っぅあ!」

びゅる、と透明な余韻が飛び出して及川の頬をつうと伝い落ちた。不思議そうなまあるい目をしたネコはぺろりと舌を伸ばして器用にそれを舐めとり、それから興味深げにその部分をじっと眺める。単純な俺の欲望は及川の視線だけでぐんと体積を増した。及川は恐る恐る触れるように、ゆっくりと俺のそれに舌を這わせる。ぺろ、……ぺろ、かぷり。

「っ!! てェッ……!!」
「ンニャッ?!」

噛まれた痛みで反射的に手を振りかぶったせいで、及川は飛び上がってすごすごと後ずさった。威嚇するようにケツを持ち上げ、怯えたような困惑したような目がこちらを油断なく見つめている。俺はあわててネコ撫で声を出した。

「及川、及川わるかったよ、怒鳴ったりしてわるかった。な? ほら、こっちこい、もう怒ってないから……」

及川はしばらく疑うように俺をにらんでいたが、やがて渋々といったていでぺたりとベッドの上に手をついて座りこんだ。ほっとして俺は及川に近づき、その身体をそっと撫でる。
頭を撫で、肩を下りて背中をなぞり、剥き出しの尻をやわやわと揉んでやれば、及川はしだいにリラックスした顔を見せ、気持ちがいいのかくねくねと身をよじらせて俺に尻を押しつけてきた。視線をずらして前を見ると、ゆるくではあるが勃っているようだ。俺は及川の身体を仰向けにころがして、今度はそれをいじってやった。

「にゃッ! ぅにゃん……にゃむ、」

もごもごと苦しそうになにごとかうめいて、及川はもじもじと太腿を摺り寄せた。いつもならもう俺に跨って好き勝手やっている頃だからこんなのは新鮮で、俺はごくりと唾を飲み込んで及川を愛撫する。

ネコになっても敏感な尻を捏ねるように揉み、とろとろとこぼれ始めた先走りを手のひらにのばして前を擦ってやると、及川ははあはあと息を荒げて困ったように身体を震えさせた。

及川の身体はいつもとかわらないうつくしい男の骨組みで、しかし今日はそれにネコのような女のような雰囲気と仕草が加わったせいでそこにはなんともいえないいやらしさがあった。普段のように理性で声を抑えることもせずにゃんにゃんと鳴く及川の身体を、今度は怖がらせないようにゆっくりと抱く。

及川は従順なネコだった。
キスをすればおずおずとその舌を出し、脚を開かせれば屈服したメスネコのようにおとなしく揺さぶられ、理性のないとろんとした瞳で何度も射精をした。それに当てられて俺もつい何度も求めたので、最後には本当に動物みたいに舌をだしてもう鳴けない喉で苦しそうにニャアニャアと鳴いていた。

する前からほとんどわかっていたけれど及川はやっぱりネコで、どうしようもないほどそれは現実で、抜かずに使ったせいでぐちゃぐちゃになったゴムを丸めて捨てながら俺はハアアとため息をついた。及川の尻からは俺が吐き出したものがこぽりと溢れていて、きっといつもなら及川はそれを詰っただろうに、今日はくたりとシーツの上でまるまっているだけだ。

(ああ、及川は本当にネコになっちまったんだなあ)
数時間前に脱ぎ捨てたパンツをのろのろと履きながら、ぼんやりと考えた。

いったい、どうしてこんなことになったんだろう。
俺が昨日ブサばかりをかわいいと言ったせいだろうか?(口には出さないだけで、及川のことだってたいがいそう思っているのに)

及川はこれから、どうなるんだろう? もしもずっとこのままだったら、俺は一生コイツを飼育して生きていくんだろうか。(一緒に暮らすのはまあそのつもりだったから、べつにいいんだけれど、)

ああ、でも、及川がネコじゃあバレーができねえのか。
そこまで思いいたってどうしようもなく肩の力が抜けた。ベッドの上で頭を抱える俺を尻目に、呑気なネコは機嫌よく俺の膝に頭をのせている。さっきまでぐったりしていたくせに、もうゴロゴロと俺の手のひらに頬ずりをしていた。

「おまえはのんきでいいよなあ」

つぶやいて頭を撫でると、及川は嬉しそうにその手を舐めた。ざらりとした感触が指のはらをなぞり、及川はこんなところまでネコになってしまったのだとなおさら絶望的な気分になる。俺はまたひとつ深いため息をついて、ゆるくはねる及川の髪の上にくしゃりと手をかさねた。

「……なあ、及川昨日はごめんな」
ネコになってしまった及川に伝わるはずもないけれど、それでもなんだか言わないといけない気がして口に出した。
「おまえのことほっといて、俺がわるかったよ」
及川は黙って俺の膝に手を置いて、香箱を組んでいる。
「……まあ、今さらわかるわけ、ないよなあ」
ごめんな、及川。息を吐くようにもう一度くりかえした、そのときだった。

くくく

低く小さな、けれどそれはたしかな笑い声だ。幼い子どものような無邪気な響きに、ぞくりと戦慄が背筋を走る。ごくりと唾を飲みこみ、声のしたほうを見たいような、あるいは見るのは怖いような気がして束の間逡巡して、それからゆっくりと視線を下げて俺は息を呑んだ。

「!」

ぎょろり。
ひどく悪戯っぽい色をしたまるい目玉がふたつ、こちらを見上げていた。

「及川、及川おまえ、」
「……うふふ。岩ちゃん、どうしたの?」

そんなにおどろいてと、笑う及川はもういつもの及川だった。さっきまで自分がネコだったことなんてまるで覚えてもいないような、けろりとした顔をした俺の幼馴染だった。
(ああ、――ああ、……)

へなへなと身体の力が抜けて、ぼうっとしたまま、俺はただその頬を撫でる。及川はもう俺の手を舐めたりはしなかった。ほっとしたような、なんだかまだ夢をみているような、あるいは案外あっけなかったような不思議な気分で、俺は満足げな及川の顔をながめていた。


それから数日後、ブサは紛れ込んだようにまた俺の家の庭にぽつんとたたずんでいたが、黙って窓のこちら側から見つめるだけで俺がなにもせずにいると黒ネコは黙って去っていった。そうしてそれからひと月もするころにはこの町から姿を消していた。人のいい誰かに拾われたか、あるいは野良猫らしくねぐらを替えたかしたのだろう。
きっとどこかで元気でいればいいとおもいながら、俺は及川が忘れたあの日のことを、ひとり、まだ忘れられずにいる。








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どこがどうもえるって自分でもわからないんだけど。こういう話は楽しいです
(2014.1003)