「明日、天気いいらしいよ」
それは、国見が初めて俺についた嘘だった。

北川第一中学一年。俺たちが同じクラスになってまだ間もないころのことだ。

国見がそう言ったのでそうなのかと思って、次の日は傘を持たずに学校に行った。午後からは土砂降りの大雨で、ちゃっかり傘を持っていた国見は下駄箱で立ち尽くす俺を見てぷはっと噴き出した。
「アレ、ホントに信じたのかよ」
いつもはツンと冷静な表情をくしゃりと崩して、国見はひどく得意げにくくくと肩を揺らした。
「うそつき」とか「なんで騙したんだよ」とか、言いたいことはたくさんあったはずなのに、だから一瞬、言えなかった。俺はその嬉しそうな顔に見惚れてしまったのだ。

そうしてぼけっとしていたら目を細めた国見が傘をひらいて俺に差し出した。
「……入ってく?」
そんなはずないのに、(たぶん国見は気まぐれで嘘をついただけなのに、)なんだかそれは帰り道のちがう俺といっしょに帰るための嘘だったみたいに思えて、気がついたら責める間もなく首を縦に振っていた。

帰り道国見はずっと上機嫌で鼻歌をくちずさんでいて、俺が
「明日もいっしょに帰ろうか」
と言ったらそれはすこしだけ止まって、またラララとはじまった。


そうしてそれから三年とすこし、俺と国見は今日もひとつの傘を差して帰っている。
背丈はあの頃より二十センチばかりにょきにょきと伸びて俺たちは七十センチ傘のしたで小さく身体を寄せ合わなければならないほど大きくなったけれど、中身そのものはちっとも変わらないままだ。

国見は昨日もまた嘘をついた。
「降っても小雨らしいし、傘はべつにいらないんじゃない」
べつにいらないじゃ済まない程度には本降りで、高校の下駄箱の前でぼうぜんと空を仰ぐとやっぱり国見はくくくと笑ってた。

となりで見てた先輩の岩泉さんが
「またやられたのか」
といって俺の頭をポンとやるくらいには、国見の嘘予報はもう日常茶飯事だ。(俺がそういう風にやられると一瞬で不機嫌になった国見にうしろから小さく蹴られるのも、もう慣れっこである)

嘘ばかりつく予報士の傘を背の高い俺が持って、中学のときより十五分ほど長くなった帰路をゆく。四月の雨はすこし冷たく、真新しいブレザーに身を包んだ国見は時おり寒そうに唇を震わせているので俺の持つ傘は自然と国見側に寄った。ちらり。国見の不機嫌そうな目はいかにも気だるげに俺を見上げる。

「……なんでこっち、傾けてんの」
「え、だっておまえ、寒そうだから、」
「ハア? なにそれ、カレシかよ」

国見はふん、と鼻で笑った。

「なっ、なんだよ、人がせっかく気ィ遣ってんのに!」
「……おまえがそういうことするから、クラスの女子に俺ら付き合ってるとかウワサされんだぞ」
「えっ!」

それ、ホント? 恐る恐る聞いたら
「おまえって本当に何でも信じるのな」
国見は呆れたように笑ってそれからふと、笑い疲れたように俺の肩に身をよせる。俺は真っ赤になった。かんたんに騙されたことへの恥ずかしさと、さりげなくこっちにくっついて俺の肩が濡れないようにした国見の嘘じゃないやさしさ、それからすぐそばでさらさらと揺れるその黒い髪。その全部にくらくらしていたし、それになにより、(ウワサになってるんだったら嬉しいかも)なんて、一瞬でも考えてしまった自分が気まずかったのだ。初めて騙された日からきっと、国見のことはずっと好きだった。

(……それにしても、こんなこと考えちまうなんて、俺ってなんてカッコわるいんだろ)

はああ。ため息をつく俺の横で、漆黒のひとみがひどく穏やかにこちらを見ていたことを、俺は知らない。


+++


「明日もいっしょに帰ろうか」
それは、たぶん俺がずっと欲しかった言葉だった。

小学校のころから、俺の登下校はいつもひとりだった。学区からすこし離れたマンションには同じ年ごろの子どもがたまたまいなくて、みんなが同じ方向の子と仲良く登校する中で俺は登校班に属したことすらもなかったのだ。クラスではみんながしたの名前で呼び合う中、だから俺はいつまで経ってもクニミくんだった。

子どもの足にはすこし遠い三十分間を毎日ひとりで歩いて学校に行き、勉強して給食たべて、かえりは空や車ばかりをぼうっと見ながら家に帰る。避難訓練の日だけは親が迎えに来てくれるからすこし楽しくて、そうじゃない日は、そうじゃなかった。

二年生のとき、クラスで仲良くなった男の子がいた。明るくてサッカーが得意で俺のことをアキラと呼んだ。もしかしたらその子とは親友みたいなものになれるかもしれないと思った。
いつもは校門の前で別れてほかの子と帰ってしまうその子と、初めていっしょに帰ってみたいと思った。

だから、嘘をついたのだ。

「傘持ってくるの、忘れちゃった」

本当はランドセルの中に入ってた。今日は午後から降るかもしれないから持って行きなさいってお母さんが持たせてくれたおりたたみ傘。だけど取り出さずに玄関の前でつぶやいた。

「じゃあいっしょに帰ろうぜ」

仲良しだったその子はあまりにあっさり俺の嘘に騙されて、黄色い傘を広げてくれた。嘘をついてしまったどきどきと、初めて誰かと帰れるわくわくで、ランドセルの取っ手をぎゅうっと握り締めてその傘に入ったのを覚えている。

帰り道は楽しかった。ふたりきりでないと出来ない話をして、雨の中いっしょに歌を歌って、くすぐりあいっこして、本当に、本当に楽しかった。俺ははしゃいでいたし、浮かれてもいたと思う。

アスファルトの水たまりに足を滑らせたのは、きっとそのせいだっただろう。

つるり、ずる、ぼちゃん。俺は真正面から転んで、その拍子に開いたランドセルの中身をゴロゴロと落としてしまったのだ。そうしてはっと顔を上げたときにはもう遅かった。

俺が忘れたはずのおりたたみは、今まで楽しく話をしていた友だちの足もとに、むなしくぽつんと転がっていた。

『ちがう』『そうじゃない』『俺はいっしょに帰りたかっただけで』

言おうとした。言えなかった。俺は唇を噛み締めて黙りこんだ。素直に帰りたいと言う勇気がなくて、嘘をついた自分にきっと罰が当たったのだと思った。うつむいた視線の先、子ども用のスニーカーはしばらく黙りこみそれから
「うそつき」
最後にひとこと残してひるがえった。ぽちゃ、ぽちゃ、とあしおとを立てて来た道をもどる背中が消えるのを俺はただぼーっと眺めて、しばらくして通りすがったおばさんに慌てて抱きしめられるまでそのままだった。

濡れた身体は次の日かんたんに風邪を引いて学校はそれから二、三日お休み。俺はあの日のことを思い出しては布団の中で何回か泣いて、泣き疲れて眠って、そうしてようやく良くなって学校に行ったときにはあの子はもうほかの子と遊ぶようになっていた。腹いせに俺をいじめたりはぶったりするようなことはなかったけれど、でも、それだけだ。俺はその子の特別にはなれなかったしその日からやっぱりひとりで帰るようになった。

寂しかったし、つまらなかったけれど、高学年に上がるころにはそんなことにももう慣れた。行き帰りはひとりぼっちでも学校に行けば誰かしらがいて、特別仲よしがいなくたってほどほどにいい子でいれば周りはてきとうにグループには入れてくれた。これでいいやと思うようになった。このまま中学に上がってもなんとなく、ぼちぼちやっていければいいや、そんな風に思っていた。


そんなとき金田一に出会った。

金田一というのは中学校の入学式から校内で道に迷っていたまぬけならっきょだ。ツンツン頭をあわあわと揺らして教室を探しているので、しかたなく声をかけたら同じクラスの生徒だった。

「クニミ? クだったら俺のいっこうしろじゃん!」
「俺デカイけど、国見授業中ちゃんと前の席見えるかな?」
「国見、バレー部! バレー部いっしょに見に行こう!」

らっきょは毎日うるさかった。何を勘違いしたのか初日に道を教えてやっただけで俺をいいやつと信じこんでいたし、うっとうしいと思って寝たふりをしたって俺が起きるのをいい子で待っているのだ。まぬけでお人よしで、しかたのないらっきょだった。

「明日、天気いいらしいよ」

そんなくだらない嘘をついたのは、だから、ひとつコイツをからかって困らせてやろうという気持ちも、もしかするとこれで俺のところには来なくなるかもしれないという気持ちもあったんだと思う。金田一が騙されても騙されなくてもよかったし、俺から離れてもそうでなくてもどっちでもよかった。どうだってよかった。

でも、金田一は明日もいっしょに帰ろうと言った。俺が嘘ついたせいで傘を忘れて、けっきょく俺の家まで歩くはめになったのに。本当に騙された金田一を俺は隠しもせずに笑ったのに。

それを怒るどころか、家に着いてビニール傘一本貸してやったら金田一は嬉しそうな顔してありがとうなんてお礼まで言ったのだ。国見が傘持っててよかったなんて、ばかなこと言って笑うのだ。

「それじゃ、また明日」

パタンと閉められた玄関の内側で俺はすこしだけ泣いた。みっともなかったし、恥ずかしかったし、許されたことがどうしようもなく嬉しかった。


金田一にはそれから、たくさんの嘘をついた。

『明日からバレー部の仮入部行くって言ったけど、アレやっぱりやめるから』
オロオロして本気で悩んで、次の日バレー部のいいところを自由帳にまとめて
「国見さんどうですかね……?」
冷や汗かきながら聞いてくるので牛乳噴き出した。

『朝練六時開始に変更だってよ』
初めての朝練に起きられるか心配しているのできっちり一時間前を教えてやった。七時ちょうどに俺が着くと金田一はさすがに怒ったけど、でもおかげで遅刻しないで済んだからと眠たそうな目で健気ににこにこしていた。その日の午後俺の前の席で眠るらっきょにノートを貸してやったのはあくまで偶然のことだ。

『中学のあいだにキスも済ませてないと、高校に上がってから女の子が引いちゃって彼女できないんだって』
どうしようウチのおばあちゃんに頼むしかないかもって真剣に悩み出すからイラついて襟首つかんで俺が奪った。金田一はぽかんとした顔をして、それから気の抜けた声でありがとうと言った。
「これで彼女、できるかな?」
「……さあ。できるんじゃないの」
「そっか」
国見みたいなコだったら、いいかもなあ。
金田一はそうつぶやいたきり、なんにも文句は言わなかった。

俺がどんなにひねくれた嘘をついても、金田一はその全部を許した。たとえ怒ったとしても、人のいいコイツは最後にはけっきょく笑ってそれをおわりにする。


そうして今だって同じ傘にはいりたかっただけの俺の嘘を信じて、狭苦しい七十センチ半径のしたで制服のズボンを濡らしているのだ。真新しいチェックのそれは足下からすでにじわじわと色を変えていて、俺を送って自分の家に着くころ金田一がますます雨に濡れているのは見なくてもあきらかだった。四月の雨はまだ冷たくしとしとと続いている。

信号の前、立ち止まり、すこし迷ってごめんとあやまる。金田一はぴくりと肩を揺らして顔を上げた。

「なんだよ、とつぜん」
「制服、けっこう濡らしてるから。こんなに降ると思わなかった、ごめん」
「なんだそんなの、いいよ、べつに。俺、国見には騙されてもいいやって思ってるし」
「え?」
「あ、」

なんでと聞くのは、すこし戸惑われた金田一は言わなきゃよかったみたいな顔をしたから。それでもやっぱり気になって、

「なんで?」

たずねれば、金田一はこそばゆそうにうーんと頬を掻いて、それからどこかあきらめたように首を横に振る。信じやすくて、嘘やごまかしのへたくそな男はゆっくりとくちをひらく。

「だって、お前さ、俺のこと騙したあと、すごい嬉しそうに笑うじゃん。国見が笑ってると俺も嬉しいから、」

だから、俺にはこれからもたくさん嘘ついていいよ。

へらりと気の抜けた、まぬけな、ばかみたいな笑顔だった。(こいつは、ホントに、大バカなんだ)なんだか頭がくらくらして、俺までばかが移ったみたいに頬が熱い。慌ててうつむいて頬を隠すけれどもう遅かったかもしれなかった。初めて騙した日からきっと、金田一のことはずっと好きだった。

俺はゆっくりと深く吸い込んで、そうして息を吐くように嘘をつく。

「おまえなんかだいきらい」

金田一はぱちくりとまばたきして、それからまた、へにゃりと笑ってみせた。





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すこしタイトルが恥ずかしいですが……たまにはこんなのもいいかなあ
(2014.0905)