「赤葦今日、どっか寄ってきたい?」
七月の期末明けの午後、靴箱からスニーカーを取り出した木兎さんはそう言って俺を振り返った。

いつもみたいな「どこに行こう」じゃない誘い方に、ああ今日はそういう気分の日なんだなとわかる。

末っ子気質でいつも周りに甘えてばかりの木兎さんには、ときどきこんなふうに俺を甘やかしたがるときがあるのだ。

すこし考えて
「暑いからアイス食べたいです」
と答えれば、木兎さんは満足そうにうなずいて俺の手をとった。

暑いからっていう俺の言葉は清々しいほどガン無視だ。(嬉しそうにぎゅーっとやってくる握力は男の俺でもすこし痛くて、こんなの女の子にやったら骨が折れるぞと思ったけれど、よく考えたらこの人は俺と付き合っているし俺は別れてやる気もないんだからいらない心配だった)

どうしたい? って聞いてくるわりに自分がしたいよう勝手にする先輩の手をゆるゆると握り返して学校の玄関を出る。正門前はテスト明けの解放感に浮かれる生徒たちばかりで、俺たちふたりが手をつないでいたって見とがめるようなものもいなかった。

じりじりと頭のてっぺんから焦がすような陽射しの下すぐに汗ばんできた手のひらをそれでもぴたりとくっつけ、下校生の乗るバスには乗らずに今日はふたりきり梟谷の駅へあるく。

「赤葦テストどーだった?」
「俺はね、も〜全然ダメ! たははっ!」
「まっいいけどね、どうせスポ薦選び放題だし!」

木兎さんは基本的にうるさい。ふたりでいるとほとんど木兎さんひとりで喋ってるっていってもいいくらい。でもそれが心地いい。女の子相手にするときみたく気を遣ってこちらが話題を選ぶ必要もないし、それになによりくるくる変わるこの人の表情が好きだ。

今だってアチ〜ッて制服の前バタバタさせてたと思ったら目の前横切った黒猫にビクビク震えている。(意外と怖がりで迷信とかすぐ気にする小心者だ)

俺より背の高い木兎さんが片手に乗りそうな小さな猫にびびってるさまは素直にかわいくて、俺はくつくつ笑いながら木兎さんに横目をやる。視線に気づいた木兎さんははっとしてきょろりと辺りの無人を見回し、それから恐る恐る俺の?にキスをした。へたれの木兎さんが自分からキスしてくるのはセックスして夢中になってるときくらいだから、ときどきこうやって俺からねだる。

木兎さんは身を離すとすこしだけ目を泳がせ、それからにひっとはにかんだ。年上らしく俺を甘やかせたのが嬉しいんだろう、どこか得意げな顔だった。(かわいいひと)お互いに汗ばんだ手をぎゅうとにぎって、俺たちはなだらかな坂をくだる。

十分ばかり歩いて駅の改札をくぐると、平日の午後、山手線はのんびりとホームに滑り込んできた。仮にもJRが通っているくせに梟谷の駅前は驚くほどなにもないから、遊ぶときはたいてい近くの上野かお互いの家だ。

内回りにしばらくガタゴト揺られて、今日は俺の家に行く。駅前のルミネにはサーティワンが入っている。

うるさい木兎さんの話に相づちを打っていれば、電車が最寄り駅に着くのはあっという間だった。冷房の効いた電車を下りて炎天下を数分歩き、また冷たい駅ビルに入った俺たちは「暑い」と「寒い」を笑いながら繰り返して地下一階のサーティワンに行く。

フードコートの隅にあるアイスクリーム屋は俺たちと同じように試験明けらしい女子高生が多く賑わっていた。背の高い男ふたりでにょきっとその間に入るのは初めすこし気まずかったけれど、となりの大きな子どもはそんなこと気にも留めずキラキラした目でガラスの向こうを見つめているので俺もまあいいかという気分になった。

「な、赤葦どれ食べたい?」
「え、あー、えっと、」
「ほらこれスッゲーぞ! トリプルなのに4コキャンペーンだって!」
「(毎年増えすぎだろ……このペースでいくとそのうち5コや10コになるぞ)」
「ほら、これ奢ってやっから選べよ」
「え? えっと、じゃあ……」

ぐるりとケースの中を見回して、なんとなく名前の恥ずかしくないやつを店員に頼んだ。(ラブポーションサーティワンとか、たとえおいしいとしても注文したくない)

となりで自分の4つを選んだ木兎さんは制服の尻ポケットから財布を出して、500円玉を2枚支払ってくれる。500円あったら木兎さんの好きなエロ本1冊買えるのに、木兎さんはそのお金で俺にアイスを奢ってくれる。(エロ本と比べるのはおかしいかもしれないけど、男子高校生にとってそれはとても重たい500円だ)

「木兎さん、ありがとうございます」
カップを受け取りながらお礼を言えば木兎さんはまた嬉しそうな顔をして、俺のも食べる? と自分のチョコレートミントを差し出した。

「赤葦チョコミント、よく食べてっから好きなんだと思って」
「あ、ハイ。いただきます」

うなずいてぱくりと食べたチョコミントは、本当のこと言うとべつに好きじゃなかった。ただ木兎さんがそれを好きだからコンビニでそういうの見かけるたび衝動的に買って一緒に食べてただけで、同じチョコレートなら自分の選んだビターの方が実際は好みだ。

こんなふうに俺は木兎さんの好きな食べ物やエロ本、ついでに言えばお気に入りの体位まで知っているけど、たぶん木兎さんは俺の好みをなんにもわかってはいない。

木兎さんはやっぱり末っ子で、甘やかすのはどうしようもなく下手な人なのだ。

けれどそれでもいいやとチョコミントをもうひとすくいねだりながら思う。だって時おり気まぐれに年上ぶりたがる、俺が甘えるとしょうがねえなあって笑う木兎さんは本当にかわいい。そんな木兎さんがせいいっぱい俺を甘やかしてくれようとするのがいとおしい。

だから俺の好きな食べ物は、チョコレートミントのままでいいと思うのだ。


チョコレートと抹茶とシャーベット、鮮やかな加工物をぺろりと平らげお互いの舌をカラフルに染めて、そうして駅ビルをあとにする。外はあいかわらずうだるような暑さだったが冷房とアイスで冷え切った身体にはさっきよりいくらかマシに思えた。

途中のマツキヨに寄って買い物して、ついでにそのとなりのゲーセンで木兎さんにとってもらったよくわからないゆるキャラのマスコットを鞄に結んで帰路をゆく。

俺は部屋にも鞄にも物が少ないのでつまらないと木兎さんによく怒られた。そんなこと言われてもべつに欲しいものがあるわけじゃないし、どうしようかと思っていたらそのうちこうやって押しつけられるようになったのだ。おかげで部屋にはすこし物が増えた。

かわいいゆるキャラも芸人のフィギュアもべつになんとも思わないけど、置いておくと木兎さんが満足そうなのでそのままにしている。部活の人たちは
「木兎は赤葦にベタ惚れだなあ」
って笑うけど、俺だってたいがいなんだと思う。

マンションに着いて私物のすこし増えた部屋に上がると、鞄を放り出した木兎さんは親がいないのをいいことにさっさと俺をベッドに押し倒した。冷房をつけられず西日の差した部屋で、汗をかいた男二人くっつくとさすがにむわっと暑い。

せめてクーラーだけは入れさせてくれとリモコンに手を伸ばせば、背中を向けた隙にうしろからぎゅうっと抱き締められた。ボタンを押して振り返ったときには、木兎さんがもう我慢できない顔で俺を見下ろしている。

「な、赤葦、俺今日はいい子でお兄ちゃんしたからさ、」
「……わかってますよ、」

今日みたいにさんざん甘やかしたあとは、自分がめいっぱい甘えたい人だ。テスト期間中はやらせなかったからたぶんその分も溜まってるんだろう。(まあそれはお互いさまだ)

マツキヨの袋を持ち上げてボトルを取り出すと木兎さんがごくりと唾を呑んだ音がする。俺はなにげないふりして尻を押しつけてやった。あっと掠れた声がすぐそばで聞こえ、俺を抱く手がたまらず震えるのにどうしようもなく口の端が持ち上がってしまう。

これからはこの人が欲しいだけ甘やかしてやる時間だ。ようやく冷房のまわり始めた部屋で俺はそっと態勢を変える。この人の好きな体位を俺は知っててよかった。

そうしてそれを、ほかの誰にも教えてやらない。






(2014.0715)