やわらかな薄皮のうちはしっとりと甘く、小豆の上品なあと味が心地いい。大福よりはあっさりとした食感で、まんじゅうよりはしっかりとした重みがある。 きんつばは幼いころ、「お母さんにはないしょだよ」としわくちゃの指を立てて祖母がくれるから好きだった。悪さをして叱られたときには逃げ込んで、お線香の匂いのする部屋で彼女とならんでそれを食べたものだ。祖母が小箱から取り出してくれるそれは甘くておいしくって、食べ終えるころには叱られた涙もすっかり止まっていたのをよく覚えている。 大きくなってから久しぶりに食べてみてもだからそれはひどくおいしい。せわしなくカツカツと夕方の人ごみが行き交うJRと地下鉄のあいだのベンチに座って四角い和菓子を頬張ると、なんだかここだけ時間の流れがちがうみたいだ。駅の中の週替わりのワゴンで売っていたきんつばはどうやら関西の名店の出品らしく、ひと袋食べてしまったあとでも、いくらでもいけそうな気がするくらいおいしかった。 (……でも、) どうしてとなりに、この男がいるんだろう。じろりと横を見やればもぐもぐと頬張っていた俺と違う制服、――ウシワカちゃんはちらりと顔を上げなんだと目でたずねる。なんでもないよとため息ついて、俺はこの男と出会った数分前をふりかえる。 ワゴンで売られているきんつばを買うかどうか、すこし前まで、俺はしばらく迷っていた。 和菓子そのものは大好きだし、きんつばの店なんてこのあたりにはないから久々に食べたいと思って足を止めて、けれど通りすがる人の波を見てはっとしたのだ。だってここは県内でも規模の大きい路線の集約された駅だ。当然同じ高校の生徒だってちらほらと目に入る。買っているところ同じ学校の女の子に見られたらどうしようと思わず二の足を踏んでしまった。 だって普通の男子高校生がきんつばひとつ買ったところでなにをと思うかもしれないけれど俺はイケメンなのだ。それもただのイケメンじゃなくてちょびっと自意識過剰なイケメンだ。さっきからご年配ばかりが立ち止まるワゴンの前にいくのはすこしだけ気が引ける。 いつもなら一緒に帰るフツメンの岩ちゃんがいるからお小遣い握らせて行ってもらえばよかったけど今日は月曜日で部活のオフで、女の子と遊んだ帰りだったからそういうわけにもいきはしない。 どうしようささっと買って帰ろうか、でもむこうに同じ制服が見えるしなんて悩んでいたそのとき目と目が合った。せかせかと流れていく通勤客の真ん中で、背の高い俺と相手だけが頭ひとつ飛びぬけていたのだ。 まずいと思って引き返そうとしたときにはしかしもう遅かった。背後ではこれ一箱くださいという声が聞こえていて、えっと振り返ったときにはすでに腕をつかまれていた。 「食べたかったんだろう?」 低い声に聞かれて嘘つく余裕もなく、とっさにうっかりうなずいてしまったのは今となって非常に悔やまれた。 「及川、こっちの味も食べるか」 たずねられ顔を上げると、ウシワカちゃんは箱の中から袋をひとつ取り上げ俺にうかがっていた。さっき食べた小豆味とはちがう栗の入ったやつだ。ウシワカちゃんは四つ入りの箱を買っていたから二種類入っていた。べつにいいよと首を振ったのに、無言のまますっと差し出してくる手に結局押し付けられる。 「いらないって言ったのに」 「食べたそうな顔をしているように見えたぞ」 「……ウシワカちゃんキライ」 「そうか」 さして何を感じたふうもなく無表情のままうなずく横でピリと紙を破く。となりに座っているのはバレーの才能にあふれた俺の宿敵で、大会では中学のころから高校二年の今までずっと俺を阻み続けている大キライな相手だ。本当はひとり置いてさっさと帰ったってよかったけれど、すでに向こうにひとつ奢られてしまっているからそういうわけにもいかなかった。 まあどうせこうなったらひとつもふたつも変わらないやときんつばをかじる。和栗は小豆ともまたちがうほくほくとした食感でおいしかった。同じ袋を開けながらウシワカちゃんはうまいかと俺を振り返る。 「ああ、うん。おいしいよ」 キライな相手だけれどお菓子に罪はないから素直にうなずいた。ひとくち食べるとウシワカちゃんもそうだなと言って二口三口つづけた。 甘いものが好きなのはすこし意外だった。ウシワカちゃんと会うのなんて公式の大会くらいだけど、堅物な男だからなんとなくこういうものはあまり得意じゃないイメージがあったのだ。まあそんなことどうでもいいけどと食べ終えた袋をくしゃり丸めていると、いつもこの時間なのかとたずねられる。 「? いつもは、部活があるからもっと遅いけど」 「今日は休みか?」 「ん。月曜はね。普段は七時までやってる」 「そうか。では、明日は七時すぎにここに来よう」 「うん、……え?」 うなずきかけ驚いてなんでと聞けば、気に入ったからだとウシワカちゃんは手の中の箱をさした。お前も今週は付き合え。有無を言わせぬ口調であっさりと一方的な約束をとりつけて、そうして立ち上がって行ってしまった。 呆然と振り返ればきんつば屋のワゴンはなるほど週替わりらしく、期間限定と大きく書かれている。いやちっともなるほどじゃない。ふざけないでよって電話で追いかけたかったけどよく考えたら俺はウシワカちゃんの携帯を知らなかった。どうしようもない。 しかたない明日会ったら直接文句を言ってやろうと思って、俺はのろのろと立ち上がった。 翌日いつも通りの時間に駅に行き、途中で岩ちゃんを先帰して昨日のベンチにいくと、ほとんど二、三分も待たずして本当にウシワカちゃんはやってきた。勝手な約束しないでよ、会うなりぶつけるつもりで文句考えてたのに、いざ会ったらできなかった。だって俺が座っているのを見つけるとウシワカちゃんは、ささいだけれどたしかに嬉しそうな顔をしてみせたのだ。 人の表情読むのは得意な方だからつい気付いてしまって、結局どれが食べたい、今日はこれかな、なんて話しながらきんつばを買った。五月の限定というさくら味はやさしい甘さだった。 「そういえば昨日はどうして店の前で迷っていたんだ」 思い出したように聞かれたので隠すのもめんどうくさく、ありのまま話せばスポーツドリンク噴き出して笑われた。むかついたけど、声上げて笑うところをまじまじ見るのはもしかして初めてかもしれなくて、この男にもまともな表情筋があったんだなとすこし新鮮だった。そんなこと考えていたら反対にめずらしいなと言われて顔を上げる。 「めずらしいって、なにが」 「俺と会う時は、おまえ、いつも不機嫌そうにしているだろう」 「? 当たり前じゃん、だってウシワカちゃんなんか、……あれ?」 いつもってことは、今はちがうってこと? たずねようとしてはっと気づき、俺はぎゅうっと唇をとじた。ウシワカちゃんの向こう、駅ビルのガラスに映った俺の顔はたしかにゆるんでいたのだ。慌ててちがうと首を振った。 「ちっ、ちがうから、その、これがおいしかっただけだから!」 手の中のお菓子かじりながら何度もそう言えば、ウシワカちゃんはそうかと短くうなずいて紙袋をつぶし、どこか満足したような声で、明日はどれにしようなと言った。 そうして小豆にしようと話した水曜日、俺はバレー部の用事で遅くなったのにウシワカちゃんは八時を過ぎてもまだ待っていた。先に帰ったらよかったのに、スポーツバッグおろしながら言えば 「俺が待ちたいから待っていたんだ」 と真顔で返すからそれ以上はなにも言い返せない。 これだからウシワカちゃんはキライだ。大キライなので近くの自販で押し間違って買ってしまったお茶を半分くれてやった。苦くて渋くて、甘いお菓子にはスポーツドリンクよりもずっと合う冷たいお茶だ。 回し飲みなんてしたことないというお坊ちゃんが戸惑いがちにペットボトルを傾け、これでいいのかというふうにこっちを見てくるさまは結構おもしろかった。 お坊ちゃんがむっつりした顔で待ち合わせにやってきたのは翌の木曜日のことである。昨日の話家に帰ってお祖母さんにしたらはしたないと叱られたのだそうだ。小さいころからウシワカちゃんのこと躾けた厳しい人らしい。 言われてみれば確かにお菓子を口に運ぶウシワカちゃんの所作は上品だ。そんなこと考えながらとなりで眺めていればちらりと目の合ったウシワカちゃんはわずかに唇の端を持ち上げる。 「……なに、きもいよ」 「いや。祖母にはさんざん叱られたが、そのあとでよかったと言われたんだ」 「? なんで」 「おまえにもそういう友だちができて嬉しいと言っていた」 「! っな、ば、バッカじゃないの! 俺がいつウシワカちゃんと友だちなんかに、……っ!」 「……そうか」 (あ、) 言い過ぎたんだと、気づいたときにはもう遅かった。ウシワカちゃんはそれぎり黙りこみ、さっきよりもどこか硬い表情で菓子を頬張っている。 無言のままベンチに座る俺たちの前を忙しいスーツの群れがいくつか通りすぎるころ、俺は沈黙に耐えられずにゆっくりと席を立つ。感情のあまり表に出ないウシワカちゃんの「そうか」の意味がすこしわかるくらいには、俺はこの人と時間を重ねてしまっていた。 近くの自販機で昨日とおんなじペットボトルを買い、ひとくち飲んでは差し出してやる。 ウシワカちゃんは戸惑ったがやがて受け取った。口をつけようとした瞬間やはり良心がとがめるようすこし躊躇するさまはばからしく、けれどどこか貴く感ぜられた。おばあさんにナイショができちゃったねとささやくと、そうだなとうなずいてウシワカちゃんはまなじりをやわらげる。さっきまでの気まずさは、もう、どこかに消えていた。 金曜日のくるのはその週、やけに早かったように感じられた。JRを降りると俺は岩ちゃんにそれじゃあと手を振って、もう慣れてしまった足どりでベンチにあるく。人ごみをかきわけてたどりつくと、気づいたウシワカちゃんはしかし浮かない顏で俺を見る。 「? ウシワカちゃん、どうかしたの」 「いや、どうもしないが。なんでだ」 「元気なさそうだったから」 「! ……そうか、」 納得したような、あるいはおどろいたような相づちだった。気になってつっこんでみれば、そんなふうに指摘されることはほとんどないのだとウシワカちゃんは言う。そういえばと今さらのように気が付いた。喋るようになっていくらか見分けがつくようになったけれど、たしかに眉のかすかな上がり下がりか口元の角度くらいしか変化のない男だった。 かすかに機嫌をなおしたらしいウシワカちゃんは、となりに置いていたきんつばの箱を持ち上げ蓋を開ける。 「あれ、今日はもう買ってたの」 「ああ、今日までだろう。……その、一週間付き合ってくれた、礼だ」 「! ウシワカちゃんでも、お礼とか、いうんだね?」 「失礼なやつだな、……まあ、たしかにそんなにあることじゃないが」 好きなだけ食べろ。差し出された箱には十数個が詰められているので遠慮なく気に入りのさくらを手に取った。ウシワカちゃんは小豆のそれを持ち上げてまたかたわらに箱をもどす。練習でぺこぺこのお腹にぱくぱくと放り込む。疲れた身体に爽やかな甘さとほんのりした塩はひどく染みた。 ひと袋ペロリたいらげとなりを見やって、しかしあれ、と首をかしげる。 「ウシワカちゃん、食べないの?」 大きな掌にちょこんとのせたまま、ウシワカちゃんは黙ってそれを見つめていた。俺が声をかけるとようやく気づいたような顔をして、ああ、とゆっくり振り返る。どこかぼんやりした声で、ウシワカちゃんは言った。 「今週は、それなりに楽しかった」 「? ああ、そうなの」 「おまえと一度、話がしてみたいと思っていた」 「……ふうん」 それと食べないのとどう関係があるんだろ、思っていれば、ついと袋を差し出された。 「遣る」 「? え、これ? どうして、」 「好きじゃない」 「はあっ?」 だったら昨日まではどうして食べてたの。たずねればウシワカちゃんはこともなげに、「食べてるあいだはおまえと一緒にいられるから」だと言った。嘘を吐いてすまないとも、バカでかい図体して、小さな小さな声で言った。 聞くんじゃなかったと思った。そんな言葉なんて聞きたくなかったし、それに、――そんな一言で絆されかけている自分なんかに、気付きたくなかった。 「……はあ、」 小さくため息をついて、俺は差し出された包みをひょいと持ち上げる。 「? 食べるのか」 「食べるよ。だってこれ、食べ終わっちゃったらもうウシワカちゃんと一緒にいる必要もなくなるし」 「そうか」 背の高い男はがっくりと肩を落として、なんだかしょぼくれた恐竜みたいでちょっとだけおもしろかった。及川、怒ってるか? たずねる声には元気がない。怒ってるよ、歌うように答えてやった。 小豆のきんつばをパクリとひとくち、ふたくちかじる。怒ってるんだから、今度は駅のむこうに新しくできたタイ焼き奢ってよ。食べ終わったらそう言ってやるつもりだ。ウシワカちゃんはどんな顔をするだろうかとほんのすこしだけ楽しみな気分で、俺は紙袋を折り曲げた。 +++ 習作ってつければ大体ゆるされると思ってる 3日に書いてたのにイベントなんかでばたばたしてて載せるの遅れた〜;;; (2014.0503) |