その日は久々の梅雨の晴れ間で、駅の近くの公園には、夕方の五時を過ぎても子どもらの声がにぎやかに響いていた。

肩にかけていたスポーツバッグを公園前のバス停にドサリと下ろし、古びたベンチに座って、俺は二十分に一本のバスを待つ。あいにくついさっき行ってしまったばかりだが、今日は坂道を歩いて帰るより身体を休めておきたかった。インターハイの予選は明日からもまだ続くのだ。

ボール遊びをしたりブランコを競ったり、お砂場遊びをしたりする子どもたちをぼんやりと眺めながら待っていれば、近くの自販でスポーツドリンクを買った岩ちゃんがもどってくる。

「……ん。これでよかったよな」
「ありがと。これ大好き」

ついでに岩ちゃんもネ! ふざけてくっつけばポカリとゲンコで殴られた。幼馴染の愛はいつもぶきっちょ。すぐウザがって殴るくせに、引き離しはせず肩を貸してくれるいとしい俺のぶきっちょだ。

もたれたまま半分空けたペットボトルの蓋をのろのろと閉めていると、
「及川疲れてんべ。バス来たら起こしてやっからそれまで寝てろ」
岩ちゃんは公園の大時計を見上げながらそう言った。うんとうなずき肩を借りて、夕暮れの中に目をつむる。岩ちゃんだって今日の試合を終えてくたびれているのは知っていたけれど、自分がどんなに疲れていても俺に肩を貸さないと気が済まない男だということもよく知っていた。肩口に頬を押し付けて、ぎゅうっと強く目を瞑る。

目蓋の裏ではいまでもチカチカと、今日の相手のセッター、――影山飛雄の放った曲線がまぶしく焼きついてそこに残っていた。


影山飛雄。二コ下後輩の天才セッター、通称トビオちゃん。(といっても、親しみの代わりにからかいをこめて俺がそう呼んでいるだけだけれど、)トビオちゃんと公式戦で当たったのは、今日が初めてのことだった。中学では同じチームに所属していたのだからもちろん公式対戦の機会はないし、俺のほうが二年早く高校に上がったのだから三年の今になるのは当たり前のはなしだ。

あの才能と真っ向からたたかうのだと思うと今日がくるのはすこし怖いような、あるいは楽しみなような気分で、昨日はなかなか寝付けなかった。

そうして迎えた試合で、天才は俺の予想をはるかに超えた成長で俺を打った。

高校三年間、俺が仲間と信頼を築き、日が暮れるまで毎日練習して、後輩の育成にいくらでも残ってトスを上げ続けたのと同じ時間に、トビオはまるで、たったの数ヶ月で追いつこうとしているように見えた。

試合中何度も背筋がぞくぞくして、トビオがトスを上げるたび、その手は俺をとらえるように感ぜられた。恐ろしかったし、吐き気がしたし、それに、たまらなく、――楽しかった。いつの日かこいつに負けるのかもしれないと漠然とした予感さえも抱きながら、俺は不思議な昂ぶりを感じていたのだ。

トビオがウチの高校に来ないと知ったとき、たぶん、つくりあげた俺の城塞を選ばなかったことをすこしだけ悔しいと思う気持ちも、その成長を間近で目の当たりにしなくていいという安堵もある反面、――対峙できることをどこか嬉しいと感じる気持ちも、確かにあったと思う。


うつらうつらと落ちかけていた思考の中、ふと、不協和音が響く。

顔を上げればさっきまで砂場でちいちゃなお城をつくっていたはずの女の子がアンアンと泣いているところだった。かたわらにはぐしゃぐしゃに潰された無残な夢の跡と、子ども用のゴムでできたボールが転がっている。どうやら向こうでボール遊びをしていた男の子がぶつけてしまったようだ。泣きわめく女の子のそばで呆然と立ち尽くしていた。

俺に肩を貸していた岩ちゃんは一瞥「すまん」と目で謝り、バスがまだ来ないのをちらりと確かめて二人の仲裁に行った。気の強い姉と末っ子の弟に挟まれて昔から面倒見のいい男だ。幼いころべそっかきだった俺も何度となく、
「男がいつまでも泣くんじゃねえよ」
と不器用なやさしい手のひらにガシガシと頭をやられたものである。

(岩ちゃんてば人がいいから、俺がずうっと泣いてると、いっつも釣られて泣いてたっけ)

泣くんじゃねえって、自分で言ったくせに。小さく笑ってそれからふと、胸の底、沈んでいたいつかの記憶が目の前に重なってよみがえる。

幼稚園に入ったばかりであの女の子のように、まだ、お砂場遊びに夢中だった時分のことだろう。園の時間が終わるとかたわらで談笑する母親たちに見守られながら、パンツいっちょうドロだらけになって岩ちゃんとお城をつくるのが俺は大好きだった。岩ちゃんは手先がぶきっちょだからすぐお城の門やら塔やらを壊してしまってケンカになって、それでもまた笑いながら砂を固めるのが楽しくてしかたがなかった。

大工さんの修行を積み重ねてそうしてある日、自分でもとびきりお気に入りのお城ができたことがあった。俺と岩ちゃんは抱き合って飛び上がってよろこんで、お互いの顔についたどろんこを笑って、また抱き合ってはお城の完成を祝いあった。

そんなとき一線のボールが放られたのだ。

やっぱりそのときも近くで遊んでいた、小さな男の子が宙に上げたボールだった。俺たちより年下の、サラリとした黒髪の子どもは自分のしたことの意味もまだわからなかったようできょとんとしていて、男の子の母親らしき女の人が慌てて何度も謝ってくれたのをよく覚えている。

大人が子どもに向かってあんまり必死になるものだからなんだからそれ以上責めてはいけないような気がして、俺たちは悲しいのをぐっとこらえてダイジョウブですと首を振った。

男の子はあいかわらずだあだあと言葉もわからないくちで何事かいいながら、楽しそうにボールを上げては頭の重さに転んでいた。

その姿はまるで、今日のトビオにすこし似ている。

そう思ったとき名前を呼ばれて、俺は慌てて顔を上げる。子どもたちの仲をとりもっていた岩ちゃんはいつの間にかもどってきていて、向こうの車道を指でさしていた。遠くには俺たちの住む町へゆくバスが見える。俺は立ち上がって、二人のバッグを持ち上げた。お砂場で小さな手を振る子どもたちににこりと振り返し、となりにもどってきた幼馴染にふとたずねる。

「ねえ、岩ちゃん」
「うん?」
「俺が、……俺が、もしもさ、」

いつかトビオちゃんに負けても、岩ちゃん、俺と一緒にいてくれる? たずねれば岩ちゃんは眉間に皴をぎゅうっとよせて、それからダアホと俺を殴った。それ以上をなにも言わなかったけれど、岩ちゃんにとってそれが最大限のゆるしだということは痛いくらいに知っていた。もしも負けたらなんて青城の数十人を背負う俺が普段は言わないことだって、たぶん、向こうもわかっているだろう。

帰りのバスは制限速度でゆっくりとこちらに走ってくる。

ほんのすこしだけとささやいて、その手をとった。岩ちゃんはなにも言わず、近づいてくるバスのほうを眺めていた。

生まれてくるとき才能を与える女神がもしもいるなら、多分そのひとは俺を愛さなかった。けれどかわりに、きっとこの人をくれたのだ。いつでも不器用なやさしさで殴ってくれるこの男を、俺にさずけてくれた。

いつかの未来、俺はあの才能に負けるのかもしれない。三年間かけてつくり上げた堅固な俺の城が本当はただの砂の山だったのだと、幼い頃のあの一球のように、思い知らされる日がくるのかもしれない。でも、そのときはこの人が必ずともにいる。

しなばもろとも、ともにいる。







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「とも」は友、共、供、三つの意味です。
いまさら気付きましたが、青葉城西は青葉城塞ともかけられているのでしょうか。それも素敵だなと思います。
タイトルは「しなばもろとも」と迷っていました。
(2014.0421)