好かれているんだろうなっていうのは多分、入学して、二、三か月目くらいには気づいていたと思う。 同じバレー部の先輩、木兎さんは思っていることがそのまま顔に出るような単純な人だったから、好意に気づくのもかんたんだったのだ。 俺は中学に弟のいる長男だからもともとそれなりに世話焼きのほうで、気分屋の木兎さんが練習のうまくいかず拗ねたりふて腐れたりするのを何かと面倒見ていたらいつのまにか懐かれていた。 八月、「赤葦の家に遊びに行きたい」と言われた。 帰りが同じ方面の木葉先輩が遊びに来たって話をうっかり漏らしてしまったせいだ。遊びに来たって言ってもその日は電車が事故で止まっていたからちょっと涼むついでに寄っただけなのに、そう話しても木兎さんは機嫌がわるくて今にも木葉先輩に噛みつきそうな勢いだった。 「お気に入りのおもちゃをとられてめちゃめちゃフキゲン! 俺も連れてかないと今日は一日このままです!」 って顏には書いてあった。しかたがないからうなずいて、その日はいつも反対方向の木兎さん連れて家に帰った。普通の一軒家で、普通の男子高校生の部屋なのになんだかニコニコ満足そうにしていて、あんまり嬉しそうだからまた来ていいかと聞かれても思わずいいですよと言ってしまった。木兎さんは機嫌よさそうに笑って俺のベッドの上でぴょんぴょん跳ねていた。 十月、初めてキスをした。 俺からだった。昼休み屋上で弁当食べてて、他の人はたまたま都合がつかないから木兎さんと二人でいたときだ。 もう理由を覚えてもいないけれど、木兎さんがすごくつまらないことでヘソを曲げた。ころころ機嫌の変わる人だからどうせすぐ直るだろうとてきとうな返事しながらマガジン読んでたら、その日はめずらしく悪い方向に転がってった。 「俺なんかどうせ返事するのもだるい先輩だよなごめんな」 とか逆切れ気味にいじけ出して本気でめんどくさいことになった。慌ててなだめすかしてもわざと冷たくしてみてもどうにもならなかった。入学してからというものそんなことは初めてで動揺してもいた。 だからとっさにキスをした。木兎さんと肩をたたいて、振り返ったところにすっと重ねた。木兎さんは驚いていたと思う。ぎょろりとした目をくるくるさせて、ひとしきり動揺と混乱を表情に浮かべて、それからどうやら考えるのを放棄したらしく今度は自分から俺にした。ちゅうちゅうと何度も、子どもが吸いつくみたいなやつだった。 最初にしたときもそうだったけれど、意外なことにそれほど不快感はなくてすこし驚いた。木兎さんの唇はやわらかくて、中学のとき付き合ってた彼女とそんなにちがいがないように思えたせいかもしれない。 予鈴が鳴るから口を離すと、半ば惚けていた木兎さんはふと思い返したようにごめんと言った。何がと聞けば、もうだだこねたりしねえからとすこし気まずそうにいうのでほっとした。この場が収まったんならなんでもいいやと思っていた。 しかし木兎さんはまただだをこねた。 もうしねえからと言った舌の根の乾かないうちには赤葦んちにゲームしに行きたい(俺の弟とよくスマブラで盛り上がってる)といって勝手についてきたし、部屋で二人になるとちらちら俺の隙をうかがってはキスをしたがった。一度してしまえばそれから後はおいしいお菓子に味を占めた子どものようだった。 おまけにあんまりしたがるからちょっと今日はとやんわり断れば、木兎さんは赤葦に嫌われたと言ってすぐにしょげてしまう。そうすると俺からするまで機嫌が直らないから、結局めんどうで断ることもしなくなった。 十二月木兎さんのわがままはエスカレートする。 冬休みで一日俺の家に遊びに来ていて、その日は家族もいなかったから木兎さんは俺をガッチリつかまえて当然のようにキスをしてた。この頃には子どもや中学生がするようなそれじゃなくて、口の中を全部食べてしまうような、まるで猛禽類が獲物を捕食するような獰猛なものになっていた。木兎さんの好きなだけいつまでも続けられると息が苦しいから、俺はときどき酸欠みたいになって、ドンドンとその胸を叩かないといけなかった。 その日も何度もドンドンやった。でも木兎さんはなかなかやめてくれないどころか、ようやく解放されて荒く息つぎする俺にひどく純朴な顔でしたいと言った。脳に酸素が足りないから、とっさにはなにがって聞き返せなかった。否、答えを聞くのがおそろしいから聞けなかったのかもしれなかった。 木兎さんは逃げだしかけた俺の腹の上に乗って、ぎらりと飢えた獣の目をしてた。 普通なら殴ったり、蹴ったりして嫌がるところだったんだろう。暴走した同性を恐れたりもする場面だったんだろう。 でも、俺はきれいだと思ってしまった。まんまるいガラス玉みたいな木兎さんの目が、バレーをしてるときみたく真剣な色で自分を見下ろしているのをきれいだと、一瞬でも身体の力を抜いてしまった。この人がバレーの他でこんな顔するのに目を奪われてしまった。たぶん、それがすべてだったと思う。 木兎さんはまるで、身体を丸ごと食らいつくすような勢いで俺を抱いた。下手くそだったし痛かったし、たぶん童貞だったけど、気持ちよかった。女顔でもない、もちろん胸もない、ただひたすら硬いだけの俺の身体に木兎さんが欲情しているの見るのは気分がよかった。抜き差しされるたび内臓を抉られているようで、腹の中身もこの人に食べられているみたいでぞくぞくした。 木兎さんは何度も俺の腹にぶちまけて満足するとはっとして、ごめん、ごめん、もうしないからと言った。絶対に嘘だなと思った。まあ俺だってよかったし、べつに嘘でもいいやとも思った。 木兎さんはそれからもやっぱり俺を抱いた。無茶苦茶した後は決まってごめん、ごめんってしょんぼりするくせに、数日が過ぎるとけろっとした顔で俺の家についてくる。頭のわるい子どもみたいだ。 ゴムは買ってくださいよって躾けたらそれだけは覚えて途中で買ってくるようになって、でもつける余裕がないことも多かったから結局きちんとつけてくれるのは半々くらいだった。それを叱るとまたしょげて、かといって黙って睨んでいればもう一回してもいいかなどと調子に乗ってくる。 甘えるのは本当に上手な人だ。 目玉をくりくりさせておねだりして、断られたらご機嫌ななめになって、いじけてみせてこっちに心配させて、ときどき反省したふりをして、それでもやっぱり懲りずに甘えた要求を自分勝手押し付けてくる。俺みたいな長男タイプ、つまり自分を甘やかしてくれるタイプはこうすれば自分の思うとおりにしてくれるってことを、きっとこの人は本能で知っているのだ。まったくずるいと思う。 そうしてずるい木兎さんのせいで、今日はとうとう女子の群れに混じってチョコレートまで買うはめになった。百八十センチ超えた男がデパートのバレンタインコーナーでレジに並んでいるんだから周りの女の子にはちらちら見られてくすくす笑われてだいぶ恥ずかしい思いをした。チョコなんて放り投げて何度となく帰りたくなった。 でもくれなかったら赤葦とはもう口利かないと木兎さんはいう。そんなの自分が我慢できなくなって二、三日でやめるだろうに絶対に口利かないと頑固に首を振るから、全部わかっていても買うしかなくなった。さいあくだ。 「……もう、ホント、最悪ですよ」 チョコレートボンボンを満足げに腹におさめ、それから当然のように俺も食べてしまったとなりのツンツン頭につぶやけば木兎さんはあっけらかんと笑ってべつにいいじゃんという。よくない。俺だって男だ。さっきまでさんざん掘られてたけど男なんだ。二、三十センチちかく小さい女の人たちのあいだで頭ひとつぽんと飛び出てるのは本当に恥ずかしかった。 「来年は絶対に嫌ですからね」 くしゃくしゃのシャツを羽織る木兎さんに言うと、しかし木兎さんはきょとんとした顔で無理だろという。 「そんなん無理だろ。だってお前、俺が言ったら断れないに決まってるって」 「……調子に乗らないでくださいよ。何バカなこと言ってんですか、なんで俺が、」 「? だって赤葦、俺のこと大スキだろ」 「え」 「えって、なに、」 おまえ気付いてなかったの?ひどく不思議そうな声にたずねられ言葉が出ない。(だってその通りだったからだ)木兎さんが自分を好きなのはずっと前からわかってたのに、いつも木兎さんばかり見てたから、自分のことにはまるで気付いていなかった。(ああそうか好きだからいつも見てたのか) 「……赤葦って、意外と鈍いよね」 そういうとこ結構スキと笑って、木兎さんはうなだれる俺にキスをした。 (2014.0217) |