三歳のとき、岩ちゃんと初めてキスをしたらしい。 さすがに記憶にはないけれど、「徹のファーストキスとられちゃってすっごくショックだったのよお」ってお母ちゃんが言っていた。 ケンカして泣き出した俺を落ち着けようとして、岩ちゃんがちゅっとやったのだそうだ。 そうしてその初めてをかわきりに、俺たちは数え切れないほどキスをした。 物ごころついて最初のそれは、五歳の年長さん部屋でおままごとをしていたとき。 「男の子同士はケッコンできないんだよ」 同じ組のおませな女の子におすまし顔でそう言われた日のことだ。大好きな岩ちゃんのお嫁さんになるという当時の俺の夢はあっけなく塵と消え、けれど岩ちゃんは 「ケッコンできなくてもトオルといっしょにいるよ」 と言って帰り道チカイのちゅーをしてくれた。(そうしてそれから本当にその言葉どおりなのだから笑えない話だ) そのつぎの九歳のキスは、好奇心のキス。 低学年を頭ひとつだけ卒業した三年生はそれまでよりもっとずっと大人に興味を持ち始める年ごろで、俺たちはやり方も動機すらもわからないまま唇を押しつけてはオトナのまねごとをして遊んでいた。 当時はわけもわからずやっていた行為だったけれど、たぶん、その頃からすでに、これはこの人以外としちゃいけないことだ、という意識はどこか片隅にあったと思う。 そうしてその理由に気づいた十四歳の春、俺は初めて明確な意図を持って岩ちゃんにキスをした。岩ちゃんは突然の出来事にしばらく目を白黒させていたが、それからややあって力の限りに俺を殴った。 「なにすンだ、バカ野郎、クソ及川、ちくしょう、あほっ!」 真っ赤な顔して涙目で詰る岩ちゃんをひどくかわいいと思ったのを、今でもよく覚えている。 「岩ちゃんかわいい。好き。大好きだよ」 思ったまま口にしたあとのもう一発は強烈で、よろよろと手でおさえていた頬に落とされたキスはしかしそれよりよっぽど凶悪だった。 そうして付き合い始めた十五の頃、しかし岩ちゃんは絶対自分からはキスをしてくれなかった。俺はそれを覚えたばかりで隙があれば好きなだけキスをしていたかったのに、岩ちゃんは照れ屋だったからいつもむっつりと俺にされるままだったのだ。 当時はそれが寂しくて口ゲンカをしたこともあったけれど、十六になる頃には黙って受け入れてるそのときの顔がひどく緩んでいるのに気づいたからそんなこともなくなったと思う。 十七の夜大人のキスをして、俺は初めて岩ちゃんを抱いた。 頬に唇に、おでこに首すじにおへそ、それから強張る太腿の内側に、今まで触れたことのなかったすべてにひとつずつ落として抱き締めた。子どものころ笑いながらしていたそれとも付き合うようになって時折りするようになったそれともちがう体温に岩ちゃんは震えて、それでも俺の背中に両手を回して縋っていた。 真っ赤になって俺にされるばかりだった岩ちゃんはそれから二十歳になってすこしだけ積極的になった。俺が眠っている間だけは自分からキスをしてくれるようになったのだ。 大学の試験勉強でうつらうつらしていたとき不意にやわらかいものが触れたのでそうだと気がついて、それからはときどき眠ったふりをするようになった。岩ちゃんがしばらくかたわらでようすをうかがっておずおずと触れてくるようすは愛おしくて、たぬき寝入りがバレると殴られるから痛くて、けれど俺にはどちらだって幸せだった。 二十二の春、俺たちは特別なキスをした。 大学のころ住んでいた八畳のアパートを引き払って二人の職場の真ん中に新しいマンションを借りて、引っ越しの段ボールを運び終えた夜のことだ。 それまでバイトして貯めたお金で敷金礼金を払って、寝室には男二人が寝転がってもまだ余るベッドを買った。新卒でそこまで広い部屋は借りられなかったからベッドを置いただけで部屋はいっぱいになって、笑いながら寝転がってキスをした。これまでだってずっと一緒に生きてきたけれど、これからだってずっと一緒にいようという約束のそれだった。 大きなベッドをそれから何回もぎしぎしと揺らして、たぶん、二十五、六の時期岩ちゃんはいちばん男っぽいキスをしていたと思う。俺の背中に爪を立てて、あるいはお腹の上に乗って唇を押し付け舌を入れて、俺のことまるごと食べるみたいにキスしてた。あのころみたいに金曜の夜シャツを脱いで玄関で噛みついてくることは今ではもう少なくなってしまったけれど、それでもたまに、たまーにしてくれる。 居間のソファの上、口づけられながらそんなことを思い返していればゆるく下唇を噛まれてふと呼び戻された。至近距離で目の合った岩ちゃんはかすかに怒ったような表情をつくってよそ事考えていた俺を叱る。けれど口元はどこか笑っていて、それは不機嫌なようにはとても見えない。 ごめんねとあやまってそれから明日の土曜日仕事が空いたことを告げれば、三十五歳になった岩ちゃんはひどく穏やかな顔で、俺にキスをした。このごろは子どもみたいなキスを嬉しそうにちゅっとやってくる、可愛い男の人だった。 +++ 息抜きになんとなく書いてみたけどすでに羞恥でしにそう。前はわりとこういうのばっかり書いてたんだけどおかしいな まあいいか (2014.0327) |