「ね、それ、」
ひとくち分けてよ。帰り道言いながら肩を抱けば後輩はかすかに眉根をよせ、しかし手にしていたアイスを半分に割って俺に差し出した。ハーゲンダッツの抹茶味、クリスピーサンドは厚いウエハースにアイスのはさまれたやつだ。国見ちゃんはちょっと悩んでそれからほんのかけら大きい方を俺にくれる。さっき途中のコンビニで買ったばっかなのに、これすごく好きなのに国見ちゃんは俺に分けてくれる。ありがとねと片目をつぶれば後輩は諦めたようにため息をついて、

「はあ、べつに……いいですよ」

と小さく首を振る。俺は手を汚さないようにそっとそれを持って、もう片手は傘を持ち直して七月の帰路をゆく。梅雨の明けない空はぐずぐずと薄暗いくせに夕方はもわっと蒸して、同じ傘に入る国見ちゃんはほんのりとひたいに汗をかいている。アイスよりそっちの方がおいしそうだなと思いながら、俺はクリスピーサンドにかじりついた。


『べつに、いいですよ』

俺がなにかをお願いすると、恋人はいつだってかたちのいい眉をよせてそう言った。たとえば週末どこかに出かけたいとか放課後一緒に帰りたいとかそんなささいなことから、今日みたいに国見ちゃんの好きな食べ物を分けてほしいってわがまま、あるいはキスをしたいとかセックスをしたいとかそんなおねだりをする時だっておなじだった。かわいい後輩はいつだっていいですよと言って俺に許してくれる。

そうされると俺は好きなコに許されたのがひどく嬉しくて、でも同時にいつも、ほんのすこしだけ悲しい気分になる。

高二の夏、付き合ってよと俺が言ったときも国見ちゃんは同じ言葉をくちにした。
初めて会った年よりすこし背丈と髪の伸びた少年は成長期特有の危ういうつくしさでまわりにいるかんたんな女の子よりずっと魅惑的で、昨夏ぐうぜん再会した俺はその陰影に惹かれていたから許されたときはやっぱりとても嬉しかった。

親しく付き合ってみれば年齢らしく子どもっぽいことを言うところも、反対に時折かいまみせる大人びた横顔も好きになった。

そうして国見ちゃんのことを好きになればなるほど、「その言葉」は俺を不安にさせるようになった。いいですよ。国見ちゃんがそう言って俺を許すたび、もしかして、国見ちゃんはいい子だから俺と付き合ってくれてるんじゃないか? そんなふうに俺は思うのだ。

だってそんなこと考えてしまうくらい国見ちゃんはいい子だった。土日の約束急に俺が行けなくなっても大好きなアイスを半分とられても、舌を入れてももっと大きくて痛いものを入れても不満は言わなかった。俺がなにをしたって国見ちゃんはそれを受け入れていいですよってうなずくだけ、小顔を伏せて黒髪を小さく揺らすだけなのだ。その顔を見るたびだから本当はこの子に我慢をさせているんじゃないかって不安になる。

こんな気持ちになるくらいならいっそ突き放せればいいのに、けれど小頭がこころなし機嫌よくウエハースにかじりついているのを見ると、俺はまたついうっかりと言ってしまうのだ。

「ねえ国見ちゃん、今日親遅いから、」

俺んち寄っていきなよ。雨が降っているのをいいことに耳たぶに触れる近さで誘えば国見ちゃんはパクリと最後のひとくちを頬張ってそれからすこし考え込み、やはりいいですよとうなずいた。

俺はいつになく苦い抹茶味を無理やりに飲み込んで笑顔をつくり、空いた片手で国見ちゃんの手をつかむ。体温の低い国見ちゃんの手のひらは何もいわず、家に着くまで俺の手の中で揺れていた。


自室に上げ、冷たい緑茶を出してひとり私服に着替えるといつもならそのまませんべい布団に国見ちゃんを呼んでその先のことをするのだけれど、今日はどうにもそんな気分にならなかった。

かわりに期末が近いからと切り出して国見ちゃんの鞄を開かせ、今日は教えてあげるといかにもいい先輩ぶる。国見ちゃんはすこし不思議そうな顔をしたが、古典がだめなんですと言ってA5の教科書をとりだした。

なるほどきれいな教科書だ。おそらく必要な書込みがほとんどないという意味できれいな教科書だ。参考書と授業のプリントもまったく真新しかった。苦笑してプリントの問題を頭から教えてやる。とくべつ得意でもなかったが一年の範囲くらいなら俺にもわかった。

一度教えれば国見ちゃんは頭がいいから助動詞の使い方も古語の意味もすぐに理解してくれる。飲み込み早いのになんでダメなのと聞けば国見ちゃんはうーんと頭をかいて、

「授業の半分以上は眠くて我慢できないんですよね」
とぼそり言った。そういえば担当の先生はわかりやすいけれど一本調子な喋り方だったのを思いだして笑う。

「あの先生の授業、超眠くなるよね」
「及川さんも?」
「うん、教卓の真ん前で寝てた」
「あの位置、意外とばれないですよね」
「あ〜わかる。高さあるもんねえ」
「そうそう」

雑談しながらも小一時間で範囲のプリントはたいがい終わって麦茶のコップはすっかり空になり、そろそろ帰るかなと思って会話の切れ間に国見ちゃんを振り返れば、しかしその手は俺の半袖をすっと引いた。

「及川さん、あの」
「? うん、」
「……その、」

黒目を伏せてもごもごと、うかがうように国見ちゃんは言った。

「今日は、しなくていいんですか」
「! えっ、あ、あの、なんで、」
「及川さん、家にくるといつもしたがるから」
「……!」

国見ちゃんは、やっぱり我慢してるんだろうか。ささいな質問なのにそんなふうに思ってしまった。だって「しなくていいんですか」とか「俺が」したがるとか、まるで国見ちゃんはしたくないみたいに聞こえる。今日は帰り道から不安がくすぶっていたからよけいにそんなふうに穿ってしまう。

「……及川さん?」
顔色、わるいですよ。国見ちゃんはいい子だからこんなときまで俺を心配した。そのやさしさがますます俺を居たたまれなくする。今日はいいよ、もう帰って。震える喉でなんとか言えば国見ちゃんはきょとんとした顔で俺を見つめ、しかしそれからゆっくりと首を横に振った。

「……ダメ。帰りません」
「ダメって、どうして」

俺が言えばいつもいいですよって言ってくれるくせに、今日の国見ちゃんは頑なだった。頑固な国見ちゃんの手はいつのまにか、許さないとばかりに俺の袖をぎゅっと握っていた。薄い唇はいつになく厳しくひらく。

「及川さん顔色わるいからダメ。俺、放って帰れない」
「っだ、大丈夫だって、」
「じゃあ、なんで、――どうしてそんな、泣きそうな顏してるんですか」
「っ、」

指摘され初めてはっとした。そういえば目の奥が熱くて呆然とする。なんでもないよって言ったのに国見ちゃんはしつこかった。いつもの従順ないい子はいったいどこ行ったんだ、思いながらやけっぱちで思いの丈さらけ出せば国見ちゃんはぽかんと固まって、それからいかにも呆れたようにため息をついた。

「……俺が『いい子』だから及川さんと付き合ってるって、そんなこと、本気で思ってたんですか」
「だって国見ちゃん、なんでもかんでも、いいですよって、」
「……ハア」

バカだな。率直につぶやかれてぐさりと刺さる。言い返す言葉を回らない頭で探していれば国見ちゃんは前髪を耳にかけ直して、それから俺の肩をトンと押した。華奢に見えてしっかり高校生男子バレー部の手にいきなり力をかけられ、俺の背はかんたんに畳の上に落ちる。

「俺、そんなにいい子じゃないですよ」

言いながら国見ちゃんは俺の腹に手を置いた。何をするのかと見守っていればそのまま腰の上に跨って、それから不器用なゆびさきでカチャカチャとベルトを外す。

「えっ、ちょ、あの、くにみちゃ、」

ん、までは言わせてもらえず塞がれた。体温の低い国見ちゃんの唇、しかしその奥の吐息はかすかに熱く震えている。驚いて見上げればそこにはうっすらと欲情をのせた黒瞳があって思わずハッと肩がすくんだ。国見ちゃんの薄い舌は唇の端をぺろりと舐め、その手は俺のボクサーに伸びる。こういうことだって、と国見ちゃんは切り出した。

「こういうことだって、俺、ちゃんとしたいから、してるんです」
「っ、」
「我慢なんかしてないし、嫌だったら嫌だって、そのくらいはっきり言うし、」
「あ、あ、ちょっと、国見ちゃん、そこっ、」
「アイスだって、俺が及川さんに食べてほしいからあげただけ」
「わっわか、わかったから、いいよ! 及川さんもう十分! 十分わかったから!」

身をかがめる黒髪を慌てて押しとどめれば国見ちゃんはむすっと眉根をよせ、そうしてそれからぽつりとつぶやいた。

「……及川さんがしてほしいこと、俺が、してあげたいんだ」
「っ!」

ああ、そうかとそのときようやくわかる。国見ちゃんの頬は腫れたみたいにうっすらと赤かった。そうか国見ちゃんのこの表情は、これはきっと照れているときの顏なんだ。不機嫌そうに眉根を寄せて気恥ずかしさを押し殺し、まるで耐えるみたいに下唇を噛んでいる。これまでは見るたび不安を感じたその顔が今はひどく愛おしくおもえた。

白く薄い頬にそっと手を伸ばす。いかにも不機嫌そうな表情に今度は俺からキスをすると、国見ちゃんは焦れたように俺の首に縋りついた。抱き合うときは普段冷たい手のひらが途端に熱を持つ、その温度が好きだった。




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昨日ちょっと話してたやつ
書いてみたよ〜(*´∇`*)
(2013.1110)