※牛島くんがヤンデレで頭おかしいです







『次はー、北川中央、北川中央。北川中央医院にお越しの方は、こちらでお降りください』

電子音声の告げるアナウンスに、しかし降車ボタンを押す乗客はいない。県営バスは小さなバス停の横をゆっくりと通り過ぎ、次のバス停にむかって法定速度で走っていく。

人の少ないバスの後部シートに揺られながら、俺は車窓の向こうの景色を眺めていた。三月の末、並木道に行儀よく並ぶ桜の花びらがはらはらと風に吹かれて舞っている。

思えばあれと出会ったのもこんな時分だったと、俺はかすかに目を細めた。


中学一年生の頃、この丘を走るのが好きだった。
ひと気の少ないのどかな道路を春は桜が見事なので、休みの日は実家からそこまでよく走りに来ていたのだ。ゆるい傾斜が何度も続くアスファルトは体力をつくるのにちょうどよく、中腹にあるだだ広い公園には水道が通っているので水にも困らなかった。

あの公園であいつに出会ったのは四月のはじめ、白鳥沢の中等部に入学して、すぐのことである。

赤いペンキの錆びたブランコにひとりで座っている少女だった。さびれた公園に人影のあるのはめずらしく、彼女は両手にバレーボールを抱えていたのでことさらに俺の目を引いた。水道でいつものようにかるく汗を拭いかすかにぬるい水を飲んで、少女がまだひとりでたたずんでいるのを見て俺は声をかけた。

「おい、おまえ、バレーをするのか」
「! ……え、」

きみ、だれ? 尋ねる声は思いのほか低くてすこし驚いた。それだけでなく、近づいて改めて見たその顔立ちにもつかの間目を奪われていた。

くるりと跳ねた鳶の髪は男のように短く、半ズボンにパーカを羽織っただけの格好だがひどく整った顔立ちの少女だ。同じ中学の女子生徒を見てもそんなふうに思ったことはないがこれはきれいなものだと思った。

「ねえ、なにか用なの?」

少女はすこし困ったような顔をして首を傾げる。別に、用ではない。ただすこし目についた、こんなところでなにをしているのかと気になったそれだけだ。そんなことを話せばそいつはなんだと肩をすくめ、

「そっちだって、こんなところでなにしてるのさ」
と笑ってみせた。そういえばそれもそうだった。
「ロードの途中だ。この公園にもよく立ち寄る」
「へえ、そうなんだ。おれはね、友だちと待ち合わせしてるの」
「そうか」

おれとはずいぶん男勝りな喋り方をする女だと思ったが、なんとなく中世的なその雰囲気に合っているようにも思えた。警戒する気持ちがが和らいだのか、少女はその両手でバレーボールをくるくるり遊ばせ始める。

「おまえ、バレーが好きなのか」

尋ねれば彼女はニカと笑って好きだよとうなずいた。彼女とその日交わした、それが最後の会話だった。

それからまもなく友だちがやってきて、彼女を連れて行ったのだ。
『遅いよ、岩ちゃん』
彼女にそう呼ばれた少年はちらりと俺を見上げにらんで少女の手をぐいと引いた。さよならを言うタイミングを逃した彼女は顔だけ小さく振り返って、バイバイ、と言ったようだった。そういえば名前を聞くのを忘れたと気づいたのは二人の背中が、もう桜吹雪のむこうに遠く過ぎ去った後のことだ。まあまたここに来たときにでも聞いたらいいだろう、復路を走りながら俺はのんきにもそんなことを考えていた。そうしてそれから春がいって、夏が過ぎても、彼女があの公園に姿を見せることは二度となかった。


『北川一丁目、北川一丁目。お降りのお客様は、ステップにお気をつけください』

ひとりふたりが乗り降りしてドアが閉まり、プシュウとまぬけな音を立ててバスはふたたび走り出す。

うつらうつらしていた俺はふと目を開け、それから膝に落ちかけていた手元の花束をぎゅっと握りなおした。

学校の帰りに買ったから一種類の花を包んだだけのかんたんなものだが、あいつは喜ぶだろうか? ――きっと、喜ぶことだろう。他人に物を遣ることなどほとんどない俺からの、あいつの好きな俺からの、これが最初の贈り物だ。

あれは不器用だからすこし困った顔でも見せるかもしれないが、最後には
「ウシワカちゃん、ありがと」
そう言ってにっこりと俺に笑いかけるはずだ。それはきっと俺と再会したそのときに浮かべたような、あの嬉しそうな微笑にちがいない。そう思うと俺はひどく満ち足りた気分になった。


姿を消した彼女――及川とふたたび俺が出会ったのはその年の秋、バレー部の新人戦のときのことだ。

「北川第一には強力な一年のセッターがいる」

と中等部の監督が語った、それこそがあの日の彼女だったのだ。あのときは顔だけ見ててっきり女だと思っていたからあいつが対戦相手のコートに現れたときには心底おどろいたものだ。半年前よりいくらか背が伸びて中性さのすこし抜けた及川は俺を見るとあっという顔をして、それからふっと微笑んでみせた。

その笑みを見た瞬間、これは運命なのだと思った。
だってそれは、もう二度と会うこともないのかと諦めていた矢先の再会だった。どうして公園に来なかったのか、問い詰めたい気持ちがあったはずなのにその微笑みを見た瞬間俺にはどうでもよくなっていた。

どういうことがあったかはまるでわからないが、及川も俺にふたたび会えてうれしいのだとその顔を見ればすぐにわかったからだ。及川は笑顔のまま俺にその手を差し出した。きっと再会を喜ぶ握手だ。ぎゅっと握り返したその手で思い切りボールを打った。

及川とするバレーは善かった。負けるとは思わなかったが気を抜けば勝てないかもしれないと思える強さだった。コートの向こうに見惚れるほど鮮やかなトスだった。

そのトスを受けたスパイクはだから決定的にねじ伏せた。そうすることが及川のバレーに応えることになると思ったのだ。

実際試合が終わったあと及川は咽び泣いていた。俺と対峙した初めての試合がよほど幸福だったのだろう。震えながらひとり体育館をあとにするので俺はチームメイトにことわってその後を追った。

「……おい、及川」

体育館すその廊下でつらまえたユニフォームの襟をつかんで持ち上げると、及川は真っ赤な瞳を俺に向けた。唇を震わせ耳まで染めてただ一心に俺を見つめる、ひどく強い視線だった。

及川の気持ちはだからそれで、俺にもはっきりとわかったのだ。

(ああ、及川、――及川そうか、)

襟に込めていた力をそっと弱めてつま先立ちになっていた及川の身体を床に下ろした。及川はぺっと唾を吐き捨て俺を一瞥してその場を去る。残された俺はひとり感慨に耽っていた。

及川と俺は、両想いなのだ。
あの目を見て俺は確信した。だってあんなに赤い顔をして俺を見つめてくるなんて、そうとしか思えないではないか。(再会したときだってそれは嬉しそうに握手を求めてきた)

同性というのはすこし困るが、なに、それも大したことではない。(将来嫡子が必要になったときはてきとうな女にでも産ませて及川に育てさせればいいのだから)

それに、男であるならこれからまた同じコートでバレーをすることもできるのだ。喜ばしいことではないかと思った。


それから北川第一とは何度となく公式試合で対戦し、そのたびに俺たち白鳥沢は勝利した。及川とするバレーはやはり最初と変わらず楽しかった。敵とはいえ力のある選手の活躍を目にするのは面白いものだ。コートの向こうで俺を愛しそうに見つめる顏もいい。けれど公式戦を重ねるにつれ、及川のプレーを見るにつれてだんだんそれだけでは物足りなくなった。

俺は自分のチームに及川が欲しくなったのだ。だから北川第一と当たるときはことさら徹底的に相手を踏みにじるようにした。白鳥沢が勝つことで、その強さを目の当たりにすることで及川もきっとこのチームに来るだろうと思ったのだ。俺たちが勝てば勝っただけ、及川は俺のところに来たくなる。俺がいる、「勝てる」チームを欲するようになるだろう。

そうしてその考えは中学三年の夏、最後の大会の終わりに確信に変わった。

「ウシワカちゃん、次は絶対に負けないからね」

試合のあと涙をぬぐった及川はそう言って俺を見つめてきたのだ。及川が俺のことを呼んだのはそれが初めてだった。妙なあだ名だとも思ったがあのときの少年を「岩ちゃん」と及川は呼んでいたからきっとそれは親しい相手に向けた呼び方なのだろう。不器用な及川もようやく俺への好意を認めたのだと嬉しかった。

ならば「次は絶対に負けない」というのはつまり、「次コートに立つときは同じチームにいるから」ということに相違ない。そのときのことを考えると自然と胸が高鳴った。

その日大会でベストセッター賞をとった、県内で最も優秀なセッターが来年は俺のもとに来るのだ。昂ぶらずにはいられずその日の夜はいつもの倍の距離を走って翌日の朝にわずかなだるさを残してしまったものである。

まったく恥ずかしいはなしだ。思い出して小さく首を振る。


そういえば今どこまで来ただろうと思って前を見れば電光掲示板はすでに目的地のひとつ前で、俺は慌てて降車のボタンを押した。

『北川第一中学校前、止まります』

無機質な案内を聞きながら、そういえばここまで来るのもなかなか久しぶりだとふと思う。

最初に来たのはたしか、去年のバレンタインだった。及川が恥ずかしがってチョコレートを渡しに来ないので俺の方から取りにきてやったのだ。(及川は俺の姿を見ると案の定両手いっぱいに持っていた包みをくれた。及川くんへと手紙の入っているものばかりだったがきっと宛名を書き間違えたのだろう。そういうところがすこし抜けている、かわいいやつだ)

それからその次は中学三年の及川の誕生日。(バレー雑誌に載っていたので驚かせようと直接会いに来てやった。贈り物はなにが欲しいと尋ねたのに「さっさと帰ってくれ」などと吐き捨てる及川は本当に素直になれないやつだと思う。きっと俺が突然来たので驚いて、照れてしまったのだろう)

そうして最後は去年の秋、近くにロードで来た途中のことだ。及川はこのときもやっぱり恥ずかしがり、

「もう学校には来ないで」

などと言い張った。付き合っている相手と一緒にいるのを同じ学校の者に見られるのがよほど気まずいのだろう。俺はさして気にならないが、まあ及川が嫌がることをする必要もないかと思って今日までここには来なかった。


(今日、――とうとう、今日だ)
心の底から待ちわびた、今日のこの日は北川第一中の卒業式だ。

だからバスに乗って及川を迎えに来た。卒業して白鳥沢に来てしまえば学校の者と会う機会ももうさほどないだろうし、それに、久しく会っていなかったのだから及川も心寂しく思っている頃だろう。

花束を渡して卒業を祝って、そうだ、それから時間があれば今日は食事をともにするのもいいかもしれない。これからの白鳥沢でのことをあれとよく相談しておいた方がいいだろう。

白鳥沢まではこのあたりから電車で一時間程度かかる。きっとあのあたりの地理は明るくないだろうからロードのついでにかんたんな道を教えてやって、――ああ、そうだ、なんなら住まいだって牛島の本家で都合してやればいいではないか。無駄ともいえるほど広い旧家の敷地には使われていない部屋も離れもいくらだって余っている。

及川が望むなら二年前に嫁いだ姉の離れを引き渡してもいいだろう。春は庭園の桜があしもとの小池に舞っていかにも絢爛だ。あれもきっと気に入るにちがいない。持ち上がりそうになる唇をきゅっと結んでバスを降りる。

学園前は胸に花を差した生徒とそれを見送る後輩たちとでざわざわと賑わっていた。隙間を縫うように見慣れた鳶色をさがし、すぐに見つけて歩み寄る。

及川は桜の木の下で証書を手に笑っていた。初めて出会ったときと変わらない笑顔に俺は心安らぎ、その名前をそっと呼ぶ。及川はハッと振り返った。

「……ウシワカちゃん、なんで」
「卒業式だろう、祝いに来た」

言いながら花束を差し出すと、しかし及川は困惑したようにそれに視線を落とす。
「祝いって、なんで、わざわざ」
「当然だろう、おまえは来年から白鳥沢に来るんだから」
「な、……なにいってるの、ウシワカちゃん」
「? おまえこそどうしたんだ。高校は、俺のところに来るだろう?」
「っい、意味わかんないよ、どうして俺、俺が、お前なんかの……!」
「互いに好き合っているんだ、自然な話だと思うが、」
「ッ、ウシワカちゃんなんて、俺は、大ッ嫌いだよ!!」

バチン。
音がしてしばらくは頬を張られたことに気づかなかった。だって及川が俺にそんなことをするとはまるで思わなかったのだ。及川は肩を震わせながら俺の横を通り過ぎた。

「あいつにはもう近づくな。……公園で会ったときから嫌な予感がしてたんだ」

いつの間にか及川と一緒にいたらしい男はそう言ってあいつの後を追ったがそんな些末なことはどうでもよかった。

及川はどうしてあんな言葉を、俺に投げつけたのだろう? そっちの方が俺にとってはよほど重要なことだった。けれどまたひとり残された俺は校門の前ぼんやり足下を見下ろして、ああ、なんだと気づくのだ。

――そうかきっと、及川は水仙の花が嫌いなのだろう。

だから怒ってあんなことを言って、俺の前から立ち去ってしまったにちがいない。そういうことならしかたない。

アスファルトの上散らばった黄色い花びらはふみにじって背を向けた。及川が喜ばないなら三千円の花束には何の値打もない。

高校の卒業式にはすこし恥ずかしいが薔薇を持って及川をたずねよう。もっと豪華なものなら及川もよろこぶだろう。

そう思いながらバス停でしずかにバスを待った。三年後、俺のもとに下る及川のことを考えるとやはりこらえきれず、殴られた熱い頬はかすかに持ち上がっていた。





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黄色いものには『私のもとへ帰って』とか、『私の愛にこたえて』とかいう意味があるようです
この前の本誌の牛島くんが予想以上に傍若無人でクズってたのでヤンデレを書くしかないと思った
文章はともかく話の内容はわりと気に入ってるのであとで細かく書き直すかも

(2013.1104)