「……ああ、及川おはよう」

待ってたんだぞ。早朝、玄関前にこやかな笑顔で告げる幼馴染にひやりと背筋が凍る。ウン、オハヨウイワチャン。返す言葉はどこかぎこちなく、硬い響きになった。

岩ちゃんはふっと目を細めて俺の手をつかむ。

「え、岩ちゃんなに」
「なにって学校、いくだろ?」
「いくけどこれ、」

つないだ手を見下ろせば幼馴染はつなぎたいからだとあっさり言い切って踵を持ち上げた。ぼんっと真っ赤になった俺の気持ちなんてまったく介するつもりはないらしい。

(今年もやっぱり始まっちゃった)

俺はハアアと深くため息をついて制服のポケットに手を伸ばした。コロコロとした小さないくつかのうち、指さきに当たったそれを取り出して封を切る。ぶどう味のキャンディ。

「岩ちゃんこっち向いて」

振り向かせた口にえいとそれを放れば、舌先に甘さをのせた岩ちゃんは途端にすっと俺の手を離して薄い頬の内側で飴玉をころがした。ぶどうには若干の酸っぱさもあるのか、唇はわずかにすぼめられる。

さっきまでの笑顔はぴたりと消えて、俺の手を離して歩き出した岩ちゃんは一限の数学だりいなあとつぶやいた。いつもどおりのようすにほっとする反面しかし今日は一日こんな調子がつづくのだと思って俺は絶望的な気持ちで天を仰ぐ。憎たらしいほどに清々しい秋晴れだった。

十月三十一日、ハロウィン。
岩ちゃんはこの日、一年で一番ご機嫌になる。
岩ちゃんはお菓子が大好きだ。チョコもキャンディもクッキーも好きだ。

子どものころお土産ものにもらった四角い缶なんか気付いたときにはよく空になっていた。そうしてたいがいはとなりの岩ちゃんを見ればその口に犯行の痕跡が残っている。

岩ちゃんはだから子どものころからハロウィンもいっとう好きだ。幼いころはふたりで山の上の秘密基地に行って、よくそこで仮装めぐりの準備をしたものだ。田舎だからカボチャなんてそのへんに転がっていて、それを拾ってきて目玉のかたちにくり抜くのが毎年すごく楽しかった。

でもそれも小学校の真ん中くらいまでのことである。
岩ちゃんは背丈が伸びるにつれてだんだんと、甘いものが好きなのを内緒にするようになった。折に触れてなんでと聞いたら

「男が菓子とか恥ずかしいだろ」

って言っていた。岩ちゃんはカッコつけだ。まあ今思えばそれは岩ちゃんなりに多感な思春期の始まりだったのだろう。子どものハロウィンはいつの頃か終わって、中学に入ると岩ちゃんはその次のハロウィンを遊ぶようになった。

岩ちゃんは俺に悪戯を仕掛けてお菓子をねだるようになったのだ。付き合っているくせにいつも冷たくぶっきらぼうな岩ちゃんが、この日ばかりは素直に俺に甘えてくる。それが岩ちゃんの最大の悪戯だ。俺はそれをやられると恥ずかしくてたまらなくなって、やめて欲しいからついついお菓子を渡してしまう。この日はだから毎年岩ちゃんの思うつぼだ。

ハロウィンだから、いつもうるさい俺に悪戯(という名の嫌がらせ)をする。そうすると悪戯をやめさせたい俺がお菓子をあげるから、しかたなく岩ちゃんはそれをもらう。もらったからには、食べないともったいない。

ハロウィンはつまり、岩ちゃんにとって非常に体のいい口実の日なのだ。大好きなお菓子を「しかたなく」食べられる上、俺に日ごろの仕返しもできる。

おかげで俺は毎年げっそりだ。昨日までのうちにチョコレートやらクッキーやら山のようにポケットと鞄にひそませたが正直これでも一日もつか自信がない。

ため息をつくと学校の前の信号を渡った岩ちゃんは俺にまたにこりと笑いかけた。ヒッと喉を鳴らしてその手がまた伸びてくる前にミルキーを渡す。ぶどう味を舐め終えた岩ちゃんは目を細めてそれを口の中に放り込んだ。これであと十分は大丈夫。

ほっと胸をなでおろしながら朝の正門前をいく。部活の練習があるせいで早い時間とはいえそれなりに人目はもうあった。こんなところで手なんかつながれたらまったくたまったもんじゃない。

俺はよくふざけて岩ちゃんにやるけど、反対にやられるのはたいそう苦手なのだ。そんな俺を知っていて岩ちゃんの悪戯は毎年敢行されるのでたちがわるいと思う。

じっさい今年も朝練を終えると着替えの最中おなかをこちょがしてくるわ、休み時間のたび俺のクラスに来るわで大変だった。普段の岩ちゃんならめんどうくさがって絶対にそんなことはしない。むしろクラスが遠いから、俺がわざわざ行かなければ日中はほとんど顔を見ないほどである。

移動教室から戻っただけで岩ちゃんが嬉しそうに駆け寄って来たときなんかだから心底つらかった。これはただお菓子をもらうための嫌がらせだってわかっているのに、俺はどうしたって顔から火が出そうなほどときめいてしまう。

女の子におんなじことされてもなんとも思わないのに一七九センチの男にやられると心臓が痛くなるのだから我ながらよっぽど病的だと思う。

悲しみのような諦めを覚えながら岩ちゃんの口にまたもぎもぎフルーツを押しつける。もぎもぎしたらもぐもぐするやつ。

最近は白いピーチ味のご飯とその上にりんご味のまぐろとかのせるお寿司のかたちのシリーズも出てる。一時間目の終わりにあげたら岩ちゃんはむっつりした顔ででもすごく嬉しそうにしてた。

それにしても三時間目が終わって俺の上着のポケットはすでにほとんどカラッポである。いいかげん飽きないんだろうかと思ってちらりと見やればグミを飲み込んだ岩ちゃんはきょとんとして、それからニカッと機嫌よく笑ってみせた。コートの外ではめったに俺に見せない顔だ。俺は無言のまま、次の袋に手をかけた。

   ***

「〜〜って、今年もそんな感じでさああ」
「まー岩泉朝練のときもやけに輝いてたもんね」
「うん……」

アレ見ると今年ももうそんな季節かってかんじだよねおつかれ。言いながらマッキーは俺の頭をぽんぽん撫でてくれる。朝から度重なる岩ちゃんの心理攻撃で疲れ果てていたので心底癒される。

やっぱりマッキーがご飯食べる中庭に避難してきてよかった。草はらの上で膝を抱えながらそう思う。昼休みのあいだもずうっと岩ちゃんに甘えられたのでは午後の精神力に自信がなかったから四時間目が終わるなりここに逃げてきたのだ。

ハアア。大きく息を吐いて青草の上に身を投げ出す。中庭はお弁当食べる生徒がちらほらいるくらいで静かで、深く呼吸をすると金木犀の香りがしてひどくほっとする。このままここで昼寝でもしたいなあ、思った瞬間、コツコツと二の腕をたたかれる。

「及川」
「? なあに、マッキ……!」

小さく身を起こして固まった。中庭につながる渡り廊下の上、そこには岩ちゃんが立っていたのだ。目が合って二秒後くらいには逃げ出していた。短い俺の昼休憩だった。背後では

「オニゴッコがんばって及川くん」

マッキーの間延びした声が聞こえる。こんなオニゴッコ頑張りたくない。ちょっと泣きそうな気持ちで上履きを蹴った。そうしてゴミ捨て場行く途中の裏庭で岩ちゃんに捕まえられた。足の速さは同じくらいだけれど、俺はさっきまで寝ころんでいたから上手く足が回らず途中で転んでしまったのだ。

どたん、盛大に土の上に膝をつき倒れてしまう。思わずついた手は小石が食い込んで痛かった。ああ逃げたのを岩ちゃんに怒られる、半べそかきたい気分でいると、しかしかたわらにしゃがみこんだ岩ちゃんは俺にすっと手を伸ばした。

「及川、大丈夫か」
「え、」
「ほら、手。見せてみろ」

岩ちゃんはそう言って俺の手を取った。そうして土ぼこりをぱっぱと払って、大丈夫そうだなとうなずいてみせる。俺逃げたのに、岩ちゃんすごいやさしい。おまけにうなずいたあと思い出したように

「昼飯花巻と食べたのか」

って拗ねたような顔をする。すごいもえる。いつもの岩ちゃんだったらクソ川人の顏見るなり逃げてんじゃねえこのバカたれで頭はたいて多分終わりなのに。今日の岩ちゃんやさしいし、すごいかわいい。

制服のポケットにのばしかけた指をふと止めれば岩ちゃんは不思議そうに俺を見た。その唇に一度ちゅっと落とす。岩ちゃんはぴくりと肩を震わせて困ったような顔をした。そろそろ俺が恥ずかしさに耐えかねてお菓子をくれるころあいだと思っていたんだろう。苦笑しながらペコちゃんチョコをあげる。岩ちゃんはほっとしたような目をして、それを受け取った。

岩ちゃんに悪戯されると毎年こうなるから困る。
恥ずかしいけれどすごくもえるから、甘えてくる顔をもっと見ていたくて俺はだんだんお菓子をあげたくなくなってしまうのだ。岩ちゃんの悪戯ってだから本当にたちがわるいと思う。

今日は遠回りして帰ろうってわざわざ駅前のクレープ屋の前を通り過ぎる岩ちゃんにお財布を開きながらそう思う。どれがいいの。べつにいくねーよ、たまにはおまえとこっちの方来たかっただけだし。(もうそういうこと言うのホントやめよう?)岩ちゃんチョコバナナが好きだよね。なに勝手に買ってんだよ。ほら、食べな。……しかたねえな。めんどくさい岩ちゃん。年に一回この日だけの岩ちゃん。お菓子を食べてるあいだだけは静かになる。

クレープを食べ終わった帰り道本当はまだカバンの中にすこしあるのにお菓子は終わっちゃったと嘘をついた。岩ちゃんはふうんとうなずきちらりとあたりを見回して、それから俺と手をつなぐ。たしかめるように二度三度と握り直し、やがてそれに飽きると今度は子どもみたいにぶんぶんと振る手のひらがいとおしかった。

今日はこの人に、さんざん悪戯をされた。振り返ってそこに岩ちゃんの笑顔を見るたび、気まぐれに触れてこられるたび恥ずかしかった。だから俺の鞄の中で揺れる小さな悪戯くらいは許してほしいと思う。

家の前たどりつくと岩ちゃんは俺を振り返り、
「今日はいつもんとこな」
と小さく耳元でささやいた。いつもんとこっていうのはおとなりの山の上、十分ほど歩いたところにある古小屋のことだ。小さいころから二人の秘密基地として使っていた。

今では本当の意味で「秘密」基地である。ハロウィンの夜は朝までそこで岩ちゃんに悪戯をされる。普段はマグロでただやられてるだけのくせにこの夜ばかりはいきいきと跨ってくるのだ。

俺はハアとため息をついてうなずいた。どうしたって期待の隠せないため息だった。


朝までハロウィン(前) おわり






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※スパーク無配でした
今年のハロウィンはsound horizonの新曲がとてもよかったのでそのシングルからタイトル引用して無配など作ってみました。朝までハロウィンとてもいい曲です。おすすめ◎
(前)とついてますが特に続く予定はないです。どうせふたりでこのあと(後)するんでしょって思ったからなんとなくつけてみた。そんなかんじです

やまもおちも意味もなくただハロウィンになにか便乗したかった私の気持ちがおわかりいただけただろうか……



(2013.1031)