「ねえ、痛い?」
「え」

制服のボタンを留める指さきに尋ねれば骨太の中指はぴくりと震え、それからさっき俺に外されたボタンにまたゆっくりと伸びた。

「俺ガンジョーだし、全然痛くないっすよ」

布団の端に座った金田一はそう言って、ニカッと健気に笑ってみせる。痛くないと言ったわりに、さっきまでさんざ泣かされていた目元はすこし腫れて痛々しかった。(無理させてごめんね)口には出さず喉の奥で謝って、それから顔を上げる。

「ねえ、ラーメン食べてく? おまえ駅前の店、好きでしょう」
「! あっ、ハイ!!」
「……慌てなくていいから」

途端にいそいそと身支度を始めた後輩に苦笑する。焦ってかけ間違えたボタンをうしろからそっとほどいて直してやれば、金田一は短く息を詰めてその身をわずかに強張らせた。朱に染まった健全なうなじが目に痛い。もう何べんも寝てるのに金田一はちょっとしたことですぐ赤くなる。無意識に伸ばしかけた手のひらはとがった頭をぽんと撫でて、それから畳に投げ出した財布をとった。(このままいたら多分俺はまたひどくしてしまう)

「行こうか」
声をかけると金田一はほっとしたような、しかしどこか残念そうな顔でハイと言った。


家を出ると十二月の夕べはもう薄暗く、吐く息はほわっと白くなった。俺は出がけにファーを羽織ってきたからまだいいが、ふるりと震えるとなりの学ランはいかにも寒そうだ。北一は一応指定のPコートがあったはずだが金田一は纏っていなかった。

「コートはまだ下ろさないの?」

住宅街の坂道を下りながら問えば金田一はぎくりと肩を揺らし、それから上ずった声で

「まだ平気っす」

と強がった。鼻の頭は俺に抱かれていたときと同じくらいに赤く、さっきからぐずぐずと鼻水をこらえている。嗜虐を誘う横顔だなと思った。

いかにも純真健全な顔した金田一が堪えるように痛くないとか平気とか、あるいは大丈夫とか言うと、なんだかそう言えなくなるくらいにひどくしたい気持ちを掻き立てられるから困る。身の内の獣をぐっと押し込めて夜道の中その手を握ってやると金田一は街灯のした、すんませんとぼそりあやまった。なにがと問うたら赤鼻はぐすとみっともなく笑って、

「この前くしゃみしたら及川さんつないでくれたから、」

今日ちょっと迷ったけど着てこなかったんす。いたずらを告白するみたくそんなこと言うので獣のタガは一瞬で外れていた。白熱灯のした仕置きのように噛みつくと金田一は寒さのせいでなく白い吐息をもらす。辺りは田舎道で人の通りもない。

ガブ、ガブリ。食べるみたいに厚い唇を噛むと学ランの肩はびくびくと震え、すぐそばの目尻には生理的な涙が浮かぶのが見えた。未だにキスのあいだの息継ぎはヘタクソですぐ窒息しそうになる童貞だ。もうすこししたら離してやらなきゃ、そう思うのと同時に、気が済むまでいたぶっていたい欲求で揺れていた。


この後輩に、初めて乱暴をはたらいたのは二年ほどまえ。俺がまだ中学生だったころのはなしだ。

あのころ俺は荒れていて、新しく部に入ってきた後輩が憎たらしくてしかたがなくて、毎日凶悪な気持ちを抑え込むようにして生きていた。

才能ある後輩、――トビオちゃんは熱心で純粋で、そうして生意気で、心の底から目障りだった。そんなトビオと同じくして入部したのが金田一だ。こっちは正反対とも言えるくらい素直な後輩だった。及川さん及川さんとついてくる図体はバカな犬みたいでおかしかったし、たちの悪い俺を何の疑いもなく信頼する頭の悪さもきらいじゃなかった。帰りにおやつでも奢ってやったり、自分でもけっこう可愛がっていた方だと思う。

でも、犯した。

梅雨時のじめっとしたその日は朝から前髪が決まらなくてサイアクで、練習の紅白戦ではトビオちゃんがここぞという場面で活躍して、俺は部活が終わって日誌を書いているあいだも最高にむしゃくしゃしていたのだ。苛立ちをぶつけるように部室でひとりシャーペンのHBを紙に叩きつけてた、そんなときに金田一はもどってきた。ロッカーに傘を忘れたのだとまぬけな後輩は言った。そうして折り畳みを取り出して俺の前のパイプイスに座る。なにとたずねれば

「及川さんが終わるまで待ちます」

と健気なバカ犬はニコニコ言った。だから犯した。その顔を見たら同級のトビオを思い出してむかむかしたし、それに、こんな腐ってる俺に嬉しそうに懐いてくるのがそのときはひどく癪に障ったのだ。

怯える身体を床に押さえつけて後ろから突くと、まるで本当に盛りのついた犬同士みたいでちょっとおかしかった。金田一はなにが起こったのかわからず混乱したまま、うぎ、とかあぐ、とか、喘ぎ声にすらならない声を上げていた。前はちょっとだけ勃っていて、でも痛みのせいか吐き出すことはできず、中途半端に震えていた。

腰を打ちつけていたぶりながら、ああ、嫌われちゃうかなってどこか冷静な頭でそう思った。まあそれでもいいやって、そういう気もしていた。

でも、金田一はそうじゃなかった。
憐れに筋違いの八つ当たりを受けた後輩は俺が引き抜くと疲れた顔で振り返って、そうして困ったように笑いながら

「気はすみましたか」

と問うたのだ。驚いて怒ってないのと素面でたずねればきょとんとした顔は

「だって及川さん悲しそうだったから」

と言った。
きっとなにか理由があって、こんなことしたんすよね。そうじゃなきゃ及川さんこんなことしないから。

俺の何を知ってるんだ、そう思うのと同時にしかし肩の力がほっと抜けてひどく安堵している自分もあった。

ばかな金田一。
俺はただむしゃくしゃしてやっただけなのに、まだ俺のこと、いい先輩だなんて勘違いしてる金田一。

――かわいい、かわいい金田一。

それから金田一とはときおり寝るようになった。二回目からはちゃんとした「寝る」だ。キスをして愛撫をして、ゆっくりと時間をかけて成長期の身体を抱く。初めてのときのようにレイプみたくしたことは、おそらくないだろう。

たどり着いたラーメン屋の丸イスに掛けたときも、金田一は別段痛むような素振りは見せなかった。俺はほっとしながらとなりの席でしょうゆラーメンを頼む。金田一は箸立てからお箸をとってニコニコととんこつを待っていた。つい数十分前俺に犯され泣いていた面影はもうどこにもなく、なんだか不思議な気分になる。

じっと見つめていると金田一はふと首元のマフラーに手をかけ、ぐるぐる巻きにしていたそれを外して膝の上に置いた。そういえばもうもうと湯気の上がる店内は暑い。無骨な指はそれから詰襟を寛げてその首をさらすので俺はあっと思って金田一の裾を引いた。

「金田一、首」
「え?」
「……噛んだとこ痕になってるから、他の人に見せたらだめだよ」

小声でささやいた瞬間純朴な顔は固まり、慌てて襟の留め具を手で締める。そんなに急いたら逆に人目を引いたけれど、過ぎたことはもうしかたなかった。首をすくめてうつむく横顔に、悪いことをしたなとぼんやり思う。

あれから努めてひどくしないように手加減はしているけれど、ときどきどうしてもこの笑顔をめちゃくちゃにしたくてたまらなくなるときがある。今日首筋に残った痕のように、無意識に強く歯を立ててしまうときがあるのだ。そうして行為が終わって我に返ると、そんな乱暴したことをわるく思う。

気まずい沈黙を断ち切るようにカウンタの向こうから丼が差し出される。箸を割ってひとくち運んで、腹が温まってすこしほっとする。しょうゆラーメンはあっさりと甘くておいしかった。

「ねえ金田一、ひどくしてごめんね」

味玉をつつきながらぼそり謝ると金田一はかすかに身じろいで、それからひとくち食べますかと自分の丼を差し出した。たぶんこいつなりに、俺のこと慰めてるつもりなんだろう。プハ、と吹き出して言われるまま箸を伸ばす。ひとくちすすっていれば初心な後輩は

「及川さんはひどくなんかないですよ」

とつぶやいた。どこまでも澄んだその目に、俺は許されたような気分になる。箸を置いて、はあ、と息を吐いた。

なにをしたってそれを許してただただばかみたいに俺を信じつづける、こいつのそんなところにきっと救われている。

重いから普段は食べないとんこつはその日、なんだかやたらにうまかった。




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及川が金田一のことをおまえと呼ぶのがめっぽう好きです。あと私金田一のこと虐げたいんだって書きながら気づいた


(2013.1030)