※大学生捏造です




深夜一時、十七分。
時間を確かめ携帯を閉じると、急に暗くなった室内に目の奥がチカチカした。もどかしさに目をつむってひとり寝返りを打っても1LDKのアパートに同居人はまだ帰らない。九月の初めは扇風機ひとつだとまだすこし蒸し暑かった。それでも立ち上がって壁のリモコンまで歩くのは億劫で、窓辺のベッドで身体をまるめている。

『夕飯どうする』
『バレーの試合は録画しとくか』

同居人、及川にはそんなメールを二、三通送ったが「ありがとう」とか「遅くなるゴメン」とかそんな言葉が返ってきただけで、何時になるとは書かれていなかった。

東京の遅い終電はさっき終わったところだ。帰ってくるなら今ごろか、それかあるいは明日の朝だろう。明日はめずらしく一限から授業があるのにその帰りが気になって寝付けずにいる。

さいあく寝坊をして同級の友だちに代返を頼むにしたって男子間のそういうやりとりは一回につきラーメン一杯だ。(しかも大学の向かいのラーメン屋はうまいから結局自分も食べずにはいられなくなる)

先月は盆の帰省があったからいつもより切り詰めなくては、月末は間違いなくもやしざんまいの生活になるにちがいない。それはさすがにヤバイと何度も目をつむりなおしているのに思い通りにはなかなか眠れないから困っていた。健全すぎる高校生時代を送ってしまったおかげで寝不足にはめっぽう弱い。

やっぱり暑いのがダメだろうか。めんどくさいがエアコンをつけようか。そう思って起き上がろうとしたときようやくガチャリ、寝室の向こうでドアの開く音と、狭い家だからその風圧が壁を揺らす振動がここまで伝わってくる。

(……ああ、よかった)

俺は起き上がりかけた身をゆっくりとシーツの上に横たえた。壁一枚向こうの居間では及川が靴を脱ぐ気配、それから卓の上に荷物を置く音がきこえる。身体からはくたりと力が抜けて、俺は安堵にほっと息を吐いていた。

部屋のあいだを仕切る戸がそっと引かれ、及川があしおとを殺して部屋に入ってくる。あいつなり起こさないように気を遣っているようだったから俺も寝たふりをすると、しばらく俺を見下ろした男の手はそうっと俺の頬に伸びた。

「……岩ちゃん、ね、起きてるんでしょ」
「!」

びくりと肩が思わず震えて、たぶん、それで完璧にバレただろう、及川はあはと笑って俺の上にのしかかってきた。

「岩ちゃん寝たふり、へたくそだねえ」
「っ、」
「いつもと寝息がちがうから、俺すぐわかるよ」

耳元でささやかれた言葉にカアッと熱くなる。及川は機嫌よく俺の首に吸い付いた。かすかだったが、隠し切れない酒の匂いがしていた。

「ねえ、もしかして、俺のこと待ってたの?」

にやついた及川の声を一蹴する。具体的に言うとすねのあたりを一蹴する。バカ言ってんじゃねえよ、目を開けて薄闇の中にらむと及川のだらしなくゆるんだ笑顔が見えた。

「えへ、岩ちゃんホントに起きて待っててくれたんだ♪ トオル、今日は頑張っちゃうネ!」
「(なにをだよ……)帰り、ずいぶん遅かったんだな」
「ん? ……ああ、ゼミがね、ちょっと忙しかったから、うん」
「ふうん」

俺の嘘は下手くそだと笑うくせに、こいつだって結局どっこいどっこいだ。(だって今日及川が軽音サークルの合コンに呼ばれたのは知り合いづたいに聞いている)平気な顔をして嘘をつく及川の、腰に伸びる手をつかんで止めた。

「明日、俺一限からだから」
もう寝ないといけない、そう含ませて言ったのに及川は軽く笑っただけで、じゃあ岩ちゃんのクラスの女の子にてきとうに頼んであげるよとささやいて俺の尻を揉んだ。

「エリちゃんとアイちゃんとカナコちゃん誰がいい?」
汗ばんだ俺の Tシャツを脱がしながら及川はたずねたがべつに誰でもよかった。無言のまま首を振って及川の背に手を回すと、恋人はうすく笑って俺にキスをする。
(及川は、今日も俺のところに帰ってきた)
そう思いながら舌を入れる。及川の好きなカルーアミルクの、凶悪な甘さが残っていた。


及川はいつか俺を捨てる。
高校三年の終わり告白されて付き合い始めたときから、それは頭のどこか片隅にいつもある考えだった。

だって中二のとき童貞を卒業したのを皮切りに及川はぽんぽんと彼女をつくっては捨てた。当時教育実習にきていた女子大生と初めて寝たときのことも、そのあとA組のアカネちゃんと付き合っているとき人生初の浮気&初のビンタを経験したことも、もう名前さえ忘れたが処女と付き合ってヤり捨てたことも俺は知っている。昔からバレーの他のことにはめっぽう飽きやすい男なのだ。

だからどうせ俺もそのうち同じように捨てられるんだろう、そう思ってるうち三年が過ぎた。気づけば俺たちは東京に出て大学の二回生を終え、同居も三年目の夏である。

及川はなぜか未だに俺のとなりにいる。最初は一回ヤった時点でやっぱり男なんていやだといって捨てられるものだと諦めていたのに不思議なものだ。押し付けられる同性を受け入れるのも悲しいくらい慣れてしまった。

「ん、んっ、ぅ、」
「岩ちゃん、痛い?」
「(痛いって言ってもやめないくせに、)……べつに、たいしたことねェよ」
「そっか、」

汗のにじんだ顔で笑った及川はぐっと腰を押した。深いところを抉られて潰されたような声が漏れる。弱いところをぐりぐりと責められてあごが引き攣れるほどに反り返った。上手く呼吸ができずに胸が苦しい。室内はいつのまにか二人分の熱と汗でむっとするほどに暑かった。はくはくと息をくりかえす俺を見下ろした男は自分のひたいを腕で拭って、それからちらりとベッドのわきに目をやった。

「?なに、……ッ! うあっ、」

つられて視線を追いかけた瞬間身体の中のものが強引に動いて目の前がちかちかと白む。及川の足の指が器用に扇風機のボタンを押すのが視界の端に見えた。ブウン、「強」に切り替えられた扇風機のさっきよりも大きな風が首を回して俺たちを扇ぐ。普段なら聞かない強風の音はどうにも性行為の現実を思い知らされるようでいたたまれなかった。

「っ、さ、さっさとやれよ、」

唸るように言って及川を見上げれば、埋められたものが昂ぶるのを感じてますますどうしようもない気持ちになる。及川はぺろりと舌舐めずりして俺を組み敷いた。

「岩ちゃん、ごめんね」

今日は手加減できないかもと及川は言ったがいったいおまえがいつ手加減したことがあったのかと尋ねたいものだった。そうして実際は女みたいに喘がされるばかりで、その疑問は八月の夜闇のどこかに消えた。


「ハア……暑かった……」

後始末を終えると及川はつぶやいて、倒れるように俺のとなりに沈み込んだ。(そりゃあ暑くもなるだろ、)新しいシーツの上、腰をさすりながら声もなく相づちを打つ。だってあれから二回もして、まだ、という及川を押し止めたところでようやく終わったのだ。

空はもううっすらと白みかけていて、これはきっと一限どころか二限も厳しいにちがいない。(アヤちゃんだかカナちゃんだか忘れたが及川にはきっちりメールをさせるしかない)

きっとそうしようと決めた俺の頬に、及川は気まぐれにキスをする。酒の匂いはもうしなかったが、しかし不意に思い出して左胸のあたりがわずかに痛む。

だってその痕跡が消えたからといって及川が俺に黙って合コンに行ったのは消えない事実で、それに、これは今日が初めてのことじゃないのだ。及川の腕の中、俺はぎゅうっとシーツを握り締める。

最初に同じことがあったのは、大学に入って半年が経つ頃だった。

俺と及川は学び舎こそ同じだが別の学科で校舎もあまり被らなくて、最近なんだか及川の顔をあまり見なくなったなとぼんやり思い始めたそんな時分だ。やはり今日のように終電のあとに及川が帰ってきた。あのときは今よりも明らかな酔っぱらいで、ああ及川はとうとう俺の次の相手を探しに行ったのだろうと悲しかった。

そうしてそれから及川がコンパに行くと噂に聞いては不安になって、ドアのひらくその音を聞いてはほっと胸を撫で下ろしている。

(――でも、)

そんな生活に俺はきっと、すこし、疲れていたのだと思う。

「なあおまえさあ、いつになったら俺に飽きるの」

半ばまどろむ意識の中、気づいたときには口が勝手にそう聞いていた。えっと顔を上げた及川にかえって俺の方がハッとする。なんでもないとごまかしたが、そのときにはもう遅かった。

なにそれどういうこと、ちゃんと言ってよ、黙ってちゃわかんないよ、急きたてられて口を割らされる。昔の彼女のときみたいに、おまえ、いつ俺に飽きるんだろうって思ってたんだよ。考えていたまま言えば及川はハアアと、ひどく深いため息をついた。

「岩ちゃんさ、なに、それ、今までずーっと悩んできたわけ」
「……んだよ、わりィかよ」
「わりィですよ! わりィに決まってんじゃん岩ちゃんバカバカ!」
「っ! おま、言いながら殴んのやめろイテェ!」
「だって、だってさあ、――俺、ずうっと本気なのに」
「!」

手を止め不意にひそめられた及川の声はあまりに真摯だった。女の子なんかと一緒に考えないでよ。つぶやかれた真剣にじゃあなんでと、今日までの疑問が思わず喉からせり出している。

「だったらなんで合コンのこと、いっつも俺に黙ってんの」
「! 岩ちゃん、知ってたの?」
「おまえ目立つからな。ウワサいくらでも回ってくんの」
「エ〜〜なんだあ、そっかあー……」

岩ちゃんばかだし、隠せてると思ったんだけどなあ。一言余計な及川の頬をぐにと引っ張って持ち上げる。いひゃいいひゃいいひゃい! 騒ぐのをぽいと下ろせば及川はううと頬を撫でて、それから眉をふとハの字にして笑う。

「岩ちゃん、ごめんね」
「なにが」
「俺のせいで、いやな気持ちになったでしょう」
「べつに」
「あ、それウソつくときの『べつに』だね」
「(ッチ、)……ちょっとだけ、ほんのちょっとだよ」
「……ごめんね」

友だちの付き合いでどうしても連れてかれることがあるのだと及川は言った。及川が来ると聞いただけで、その合コンにはかわいい女の子がそろうのだそうだ。

「俺、岩ちゃんと会う時間作るときいつもそいつに世話になってるから、断りきれないんだよね」

とも、及川は言った。

ああ、なんだ、ばかみたいだなと身体の力が抜けた。(だって及川はいつだって俺のことを一番に考えていたのに、)ひとりで空回ってまったく俺はばかみたいだ。自嘲まじり及川の腹に乗った。

「? 岩ちゃん、なに、」
「もっかい」

今度は俺が動くから。見下ろして言えば及川はきょとんとしていたが、やがてすうっと目を細めて小さく微笑んだ。騎乗位は俺の機嫌がいいときしかしないから及川がひそかに好きなのは知っている。

「ごめんね岩ちゃん、付き合いでももう行かないから」

ハーフパンツを下げている途中及川はそう言ったがもうどっちだっていいと首を振ってくちづけた。俺はドアのひらくあの音をもう不安な気持ちで待たなくてもいいのだ。そう思うとたまらなく幸せな気分だ。弱にしたばかりの扇風機のボタンを今度は俺が強に変える。明日、学校にいくのは午後になるかもしれなかった。





+++
ドアの音
(2013.0908)