※及川♀×岩泉♀※
※モブ×及川要素があるので注意してください※

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レースのおリボンに、夏花のシュシュ、それからすこし大人びたパールのバレッタ。

可愛いもので埋めつくされた店内はきらきらとまるで、目には見えないひかりで輝いているようだ。

先月駅前のショッピングモールにできたばかりのアクセサリショップは、見たことのある近隣の制服ちゃんたちでにぎわっていた。店の前に置いてある黒板の「開店サービス10パー引き」に、みんな同じよう惹かれて来たのだろう。

「ね、岩ちゃん早く入ろ」
そう言って引いた幼馴染の制服の袖は、しかし頑として動かない。あれ、と思って振り返ればここに来たいと言ったはずの本人は入口の前で固まって、ただただ呆然と立ち尽くしているところだった。

岩ちゃん? 岩ちゃん? 顔の前でニ、三度手を振って、岩ちゃんはようやくはっと我にかえる。

「どしたの? 気分でもよくない?」
「あ、いや……」
「?」

言葉のつづきを待てば岩ちゃんはこういうとこあんまし来ないからと、すこし決まりわるげな顔をする。

(ああ、だからなんとなく入りづらいってことなんだろうな)

ひとつうなずいてそれからその両手をきゅっとにぎり、
「大丈夫俺が一緒だし、岩ちゃんに似合うの、ちゃーんと選んであげるから!」
と励ませば、岩ちゃんはようやくほっとしたように眉をやわらげて、化粧気のない顔で小さくうんとうなずいてみせる。普段は強気を装っているくせにこういうときばかりはかよわい、女の表情を見せる岩ちゃんが好きだった。

俺はふと笑って、それからその手を引いて店のドアをくぐる。先客のあいだをするりと縫って髪留めの棚の前まで歩いていけば、こんなにあんのかよと岩ちゃんはげっそりした声をあげた。

くすくすと笑って、棚からひとつをとってやる。涼しげな水色のリボンだ。とまどった目をする岩ちゃんのショートカットにちょこんと添えて、棚の上の鏡をもう片方の人差し指で教えてあげる。鏡の中の岩ちゃんはぎょっとした顔でたじたじと後ずさった。

「あは、岩ちゃん、似合うのに」
「なっ、なななっ、なんか、そ、その、」

へんじゃ、ないのと、耳まで真っ赤に染めて言う十七歳の女の子の、いったいどこがへんだと言うのだろう。思わずこの場で抱き締めたくなったけれどぐっと我慢して、怖気づいた岩ちゃんをほらほらと引きもどす。

「気になったのあったら一緒に見たげる。好きなの選びな」
「お、おお……」

岩ちゃんはそうして、まさに恐る恐るといった手つきで髪飾りを物色しはじめた。

うなじの中ほどまでしかない短い黒髪につけられるものはだいぶん限られているけれど、それでもピン留めやカチューシャはお姫さまの引き出しのようにたくさん並べられている。

おしゃれに興味のない岩ちゃんがこういう店にくるのは本人の言うとおりほとんど初めてで、つまり俺と一緒にこういう買い物をするのもこれが初めてのことだ。俺は嬉しくなって、岩ちゃんが髪飾りを試すさまをにこにこと、そのとなりで眺めていた。


髪留めが欲しい、と、やはりすこし決まり悪げな顔をした岩ちゃんが言ったのは昨日の、お昼休みのことだった。岩ちゃんの前の席でパックのいちご牛乳を飲んでいた俺はおどろきのあまり口の端からたらりと垂らして、岩ちゃんが呆れながら拭いてくれたのが嬉しかった。でもその喜びも一瞬で踏み潰される。

「いいよ、どこでも付き合っちゃう! どこ行こっか? どんなの欲しい? ……でも、どしたの岩ちゃん。なんで急に、そんなこというの?」

矢継ぎ早の質問に返されたのは「土曜日出かけるから」と、どこか戸惑ったような、あるいは誇らしさを隠しきれないようなそんな岩ちゃんの小声だった。出かけるっていうのはぼかしているけどデートだ。岩ちゃんは男と出かけるのだ。

立ち上がりかけていた腰は途端に膝の力が抜けてすとんと木椅子に落ちた。つかの間ろくな表情をつくる気力はなくて俺は呆然として、けれど岩ちゃんの困ったような「迷惑か?」の上目遣いにはっとして首を振る。

「ううん、迷惑なわけ、ないじゃない。あそうだ駅前にさ、最近新しい店ができたの、知ってる?」

俺も気になってたから、よかったらそこに行ってみようよ。提案すると岩ちゃんはおうとうなずいて、ほっと安心したようなため息をひとつついた。

ところでだれと出かけるの。落ち着いたところでたずねれば岩ちゃんはきょろりと周りを気にして、それから男バレの先輩の名前をそっと口にした。

「ふうん、あの先輩、前から岩ちゃん、ちょっといいって言ってたもんね」
「ばっ、ばか、いいっ、言ってねえよ!」
「うふふ」

だってそんなふうな目をして見ているから、俺は心底気に食わないなって思いながらにらんでたんだよ岩ちゃん。とは、言わずにひとり教室を去った。次の時間の教科書忘れたから借りてくるのといえば、単純な岩ちゃんはそうかと言って、気にも留めないようすだった。


「な、及川」
「うん?」
こっちとこっち、どっちがいいかな。そう言って差し出されたのは水色のリボンがかわいいクリップと、清楚な白ゆりが先端に咲いたシンプルなヘアピンだった。

さっきからくりかえし頭につけていたから気に入ったんだなと思って見ていたが最終的にどちらを買うかで迷ったらしい。

岩ちゃんの手からそっとリボンを持ち上げて、その耳の上にかざしてみる。淡い爽やか色が岩ちゃんにぴったりだ。うっとりと目を細めて、その次はもう片方の白ゆりを前髪にあててみる。リボンに比べると小さいから、こちらの方が目立たないといえば目立たない気もする。けれど断然こっちだった。上品な白の花びらもその中心にそっとかがやくパールも、岩ちゃんにとても似合っていた。

絶対こっちと指でさすと、岩ちゃんはじっとその花をながめてそれからひとつうなずき、買ってくるからてきとうに見ててとひとりレジに歩いて行く。

凛とのびた背中はそれこそ白ゆりのようにうつくしい幼馴染だ。言われたとおりてきとうに指輪を物色するふりをしながら、小さな子どものころ二人で、野山に白ゆりを見つけたときのことを思い出した。

あのころまだ幼稚園には入っていなかったから俺たちは日がな一日近くの森を歩いて、お花の冠をつくったり川面の魚にはしゃいだりして暮らしていたのだ。

そんなあるとき木々のあいだにその花を見つけた。いつもは使わない狭い道を、たまたま通った日のことだ。まわりに花の気配なんてほとんどない緑の中、山ゆりは堂々と一輪そこに咲き誇っていた。

俺はそれを見つけてうれしくて、持って帰ろうよと岩ちゃんに言ったのだけれど、岩ちゃんは頑として首を振らなかった。

「こんなにいっしょうけんめい立っているんだから、おれたちが折ったりしたらかわいそうだよ」

というのが当時五歳だった岩ちゃんの言葉だ。その横顔はかたわらに咲く花よりも、もっとずうっと尊いものに見えた。

きっと今日選び摘まれた白ゆりも、清純な岩ちゃんをそれはうつくしく飾るのだろう。口元をゆるめていると、買い物を終えてもどってきた幼馴染に肩をたたかれる。出るぞ、と目線で言われて俺はうなずいた。

クーラーのほどよく効いた店内を出て思わず制服のシャツをつかんでパタパタと扇ぐと、振り返った岩ちゃんは「ん、」と小さな紙袋をひとつ差し出してみせる。

「? なあに」
「やる。今日付き合ってくれたし、お礼」
「へええ」

なにかなと思って開けてみればそこにはイエローリリー、岩ちゃんと色ちがいのヘアピンである。

おそろいだあと声上げる俺を、恥ずかしいから落ち着けよと岩ちゃんが制するけれど嬉しくってたまらなかった。袋からとりだしてすぐ髪につけて、それからまた、きゅうっと胸が締めつけられるような気持ちになる。

「ね、ね、岩ちゃん、今度はおそろいにして、お出かけしようねえ」
「……ったくしょうがねえやつだなあ、」
「えへへ、きまり! きまり!」

にこにことスキップして駅前を行って、途中で何度か岩ちゃんに怒られて歩幅を小さくして、でもまた嬉しくって飛び跳ねて、そうして俺はバスの乗り場で呆れた目をする岩ちゃんと別れた。

買い物があるの忘れてたんだと言うと岩ちゃんは俺に付き合ってくれようとしたけれど、やさしいその手はやんわりと振りはらう。

それからかわりにキスしてと、その耳たぶにささやいた。健康的な色の耳朶は、途端にカアと赤くなる。人がいるからと岩ちゃんは言ったけれど、前のバスが行ってしまったばかりのバス停にいるのはうつらうつらした白髪のおじいちゃんだけである。

「岩ちゃん、おねがい」

ふっくらとした頬を両手ではさんで懇願すれば岩ちゃんはすこし躊躇して、けれど目をぎゅっと瞑ってんぅ、と押し当ててくれた。かたとき触れただけの唇の感触はたまらなく幸せですこし泣きそうになって、ありがとう、一言残して背を向ける。

どこか不安げな視線を送る幼馴染を背後に知りながら、俺は来た道をまきもどった。

夕暮れにさしかかろうとしている時間待ち合わせの改札につくと、その人の姿はまだそこにはない。すこしほっとしてひと息つき、鞄から取り出したペットボトルを火照った喉にこくりと流し込む。

そうして帰りの電車から吐き出される人々を横目に手鏡をとりだし、俺は汗に崩れたメイクを直した。皮脂をとってマスカラを整えグロスを塗り、それから頭の黄色いゆりを、そっとはずしてポーチにしまう。岩ちゃんからもらった大切なものに、このあとの行為を見せたくはなかった。

ひととおり鞄にしまいこんで携帯をひらくとちょうど十八時で、私服に着替えた先輩は時間どおりに改札を出てやって来た。

片手を上げる背の高い男の人にきゃらきゃらと振り返して、子犬みたいに走り寄る。男はこうされるのが好きなのだとこれまでやってきた中で知っていた。例にもれず鼻の下をのばした先輩は、待たせてごめんねといつになく甘ったれた声で言った。

この人はつい二、三日前までは岩ちゃんを好きだと言っていた男で、同時に今週の土曜日には岩ちゃんがデートをするんだと信じこんでいる男、そうして今から、俺とセックスをする男だ。

ようするに昨日俺が夏服の胸を押しつけてちょっと誘ったらかんたんに釣れたクズである。(こんなクズに騙されている岩ちゃんはまったくかわいそうだ)けれどそんな考えはおくびにも出さず笑顔をつくる。

クズの手は慣れ慣れしく俺の肩を抱いた。どこ行こっかなんてそんなことをデレデレ言いながら、その足はもう西口の歓楽街に向かって歩き始めている。男の話にへらへらと調子を合わせながら、避妊さえしてくれればあとはもうどうでもいいやと俺はぼんやり思っていた。


「初めて」は中学二年の夏、相手は当時通っていた塾の、バイトにきていた大学生だった。岩ちゃんの初恋の相手である。

ある日の塾の帰り俺だけにぽつりと教えてくれたからその次の日先生とやった。そうしてさらに次の日塾長に俺がばらしてその人はクビになった。

俺たちに「先生」なんて呼ばれていても、せいぜい大学入りたての男なんてかんたんだった。

「先生、あのね」
「みんなもうしてるのに、俺だけまだなの」
「恥ずかしいから、先生、おねがい」

てきとうなケイタイ小説からそのまま持ってきたセリフが先生はひどくお気に召したらしく、いともあっさり釣られてくれたのだ。つまんない男だ。つまんない男のつまんないアパートで、エアコンすらない扇風機のカタカタ回る部屋で俺の処女は奪われた。

初めて受け入れる他人の欲望は気持ち悪くて痛くてきつくて最低だった。感じ方さえも知らなかった俺は行為の最中何度もしにたいと思って唇を噛んで、けれど、それでも舌を噛み切らずに済んだのは岩ちゃんのおかげである。

男に抱かれる一時間前岩ちゃんは俺に初めてのキスをくれた。俺の初めても岩ちゃんがもらってくれた。女同士でこんなのはへんだと言ったくせに、俺が本気でせがんだら岩ちゃんはくれた。すこしうすいけれどやわらかい、やさしいくちびるだった。

以来岩ちゃんに近づく男と寝る前は、まるで儀式のように同じことをしてもらうようになった。岩ちゃんがそうしてくれれば、俺はどんなことにも耐えられる。大嫌いな男に脚をひらいても、はしたないねと尻をたたかれても、これは岩ちゃんのためだと割り切れる。

(――だって、)

だって岩ちゃんは、きれいなままでなくちゃ。

誰に手折られることも踏み荒らされることもない、あの日の白ゆりのように貴いままでいなくちゃ、岩ちゃんはだめなのだ。

だから俺は自分から岩ちゃんに触れないし、だれかの汚い手がその身体に触れることも、その制服の内側を思い描いてみっともなく上下することも、許せない。

岩ちゃんは俺だけの白ゆりだ。
だから排するのだ。あるいは先生のように近くにはいられないようにして、あるいは「俺以外と遊ぶのはやめて」と男に懇願して。

そうしてそのために自分の身体がどれだけ汚れても、俺はちっともかまわない。岩ちゃんが純潔のままでいられるのなら、それでいいのだ。


「トオルちゃん、ちょっと、ゆっくり話でもしない?」

男はわざとらしい口ぶりで雑居ビルの四階、くたびれたマンガ喫茶の看板を指差した。

「うん、お話、しよっかあ」
それは意訳すると「ホテルくらい連れてってよ、しみったれめ」という意味の言葉である。俺は男の腕に自分のそれを巻きつけて古ぼけたエレベータを待った。

きっとこれから数分後、俺は好きでもないこの男に抱かれて、自分の大好きなただひとりの人を決して抱けないことを思って泣くだろう。そしてその涙で岩ちゃんの純白は守られる。気づいたときには自然と唇が持ち上がっていた。

ガタ、ガタンとどこかぎこちない動作で、目の前の扉は開いた。



(2013.0807)