「彼氏と行く予定だったけど、別れて観る気なくなったから及川あげる」

女バレのユキちゃんはそう言って二枚組のチケットを俺にくれた。流行りの恋愛映画の前売りだ。なにかしらで見たことある海外の女優と俳優が出てきて九十分くらいのいざこざを繰り返し、結局は(たぶん)付き合うやつだった。

アレ? 一緒に行こうじゃないんだね? ときけば「及川と出かけると女の敵が増えるからイヤ」だとユキちゃんはあっさり言い切った。顔はかわいんだからこういう風にきっぱり言っちゃうとこ直せばこの子はもっともてるのに、でもそうなったらつまんない子になるだろうから口にはしない。ありがとネと笑ってチケットだけ受け取った。


そうして放課後寄り道した岩ちゃんの部屋でそれを見せると、岩ちゃんはちらりと一瞥くれただけで「行かないからな」と俺にことわった。あまりにあんまり即答だ。

「岩ちゃんひどい、もうちょっとくらい迷ってくれたっていいじゃんか」

めげずにそう言ってひらひらチケット押しつければ、岩ちゃんはハアとため息をついてようやく手元のジャンプから顔を上げる。

「及川、おまえさ」
「うん」
「そのラブコメ映画、俺が観てっとこ想像つくか?」
「いや、全然」
「うん、だよな。俺もそう思うわ。つかなんで誘った? じゃあなんで誘った?」
「だって岩ちゃんがどんなに観たくなくても、俺は岩ちゃんと一緒に行きたいんだもん」
「おまえのそういうブレずにクソ野郎なとこ意外と嫌いじゃない」
「えっへへ!」
「ったく、」

褒めてねえぞと言って、岩ちゃんはさもめんどくさそうに頭をかいた。二人分の体重の乗った岩ちゃんのベッドが小さく揺れる。

「てか、だいたいなあ、そういうのはフツー女子とでも観に行くもんだろ」

なにが悲しくて男同士で行かなきゃいけねえんだよ、と、岩ちゃんは言った。けれど言ってからああしまったという顔になる。俺はにんまりと笑う。

「だって俺岩ちゃん好きなんだもん。付き合って」

あ、映画にって意味じゃなくてお付き合いしてってことね。わざわざ付け足すと岩ちゃんは苦虫を噛んだような顔をしてバカ言ってんじゃねえよと低い声で唸った。(たしかにバカだけど、でも俺なりに本気だったのに、)俺がこのセリフを言うのは中学生の頃からこれでたぶん数十回目、岩ちゃんがそれを流したのもおんなじ回数だ。十回までは数えてたけれど悲しくなるからそれからはやめた。

クッションにむうと顔をうずめる。岩ちゃんにまた振られた。童貞のくせに。

「おい口から出てんぞクソ川。……わるかったな、童貞で。ていうかおまえもそうだろが」
「むっ! ちがいますぅー、俺はファッション童貞だから岩ちゃんとちがってしないだけで、できないわけじゃないんですぅー、ホントは選り取り見取りですぅー」
「うっわしね、三回くらいしね、童貞のままでしね」
「ヤダヤダ俺しぬときは岩ちゃんのお腹の上って決めてるもん」
「なんだその勝手な決まりは」

しょうがねえやつだなあ、そう言ったきり岩ちゃんはまた今週のジャンプにもどってしまった。月曜日の岩ちゃんはいつもこうだ。だから月曜日はあんまり好きじゃない。俺もワンピース読むけど。ブリーチもわりと好きだけど。それでも読んでる時じゃますると岩ちゃんが口利いてくれなくなるからつまらない。

こうなってしまったらもうしかたない、俺はシーツの上に手をついてにじり寄り、ジャンプを読む岩ちゃんの右肩にこてんと頭をもたれた。

「及川、重い」
「いい子にしてるから、これくらいなら許してよ」
「……読み終わるまでだかんな」
「ん、」

持ち主の許可を得て肩口に鼻先を押しつけると、くすぐったいのか岩ちゃんはぴくりと身を震わせた。首筋からはかすかに汗の匂いがする。部活のあと制汗は噴いたけれどもう五月だ。暑がりの岩ちゃんは移行期間になるとすぐ半袖になるから、白いシャツの下から伸びた健康的な腕がすこしまぶしかった。本当はもうすこし眺めていたかったけれど、ずっと見ていると変な気を起こしそうでそっと目線をそらす。

部屋には時折岩ちゃんがページをめくる音と、階下のおばさんが夕飯をコトコト作る気配、それからすぐそばの幼馴染の息遣いだけがあった。外ではいつもうるさいと叱られる俺だけれど、岩ちゃんと二人のときは気を遣って話す必要もないから二人でいるのは好きだった。

「読み終わるまで」とうんざり言ったくせに同じ漫画をわざわざいくつか二回も読んでくれる、黙ったまますこしだけ時間をのばしてくれる岩ちゃんのやさしいところが好きだった。


次の休日映画はひとりで行った。受付で前売りを二枚見せてお姉さんに指定席のチケットをもらい、駅ビル九階のシネコンは日曜でにぎわっている。カップルも多かったし、親子連れも多かった。中にはキミひとりなのと声をかけてくるお姉さんたちもいてやんわりと首を振る。

売店でポップコーンとドリンクのセットを買った。

「お飲み物はどちらになさいますか?」
「えと……、メロンソーダと、オレンジジュースで」
「はい、かしこまりました!」

そうして店員のお姉さんはなんの疑問を浮かべることもなく二人分のセットを手渡してくれる。映画館が混み合っていてよかったと思った。ドリンクのあいだに大きなポップコーンが置かれたトレイを持って、ひとりふかふかの絨毯の上をいく。

シアターは八番だった。チケットを切ってもらって言われたとおりの扉をくぐれば、やはりそれなりに人気なのかすでに半分くらいの席が埋まっている。階段をのぼって自分の場所を探すと、Gの10は真ん中寄りのいかにも見やすそうな席である。連番の11の方に向けてトレイは置いた。空席だけれどチケットは俺が持っているから怒られることもないだろう。ちらりと手首を見れば開場まではあと五分ほどだった。ふうと目をつむって、背もたれにもたれかかる。

劇場内はざわついていた。この後の映画の評判や、俳優が結婚しただのしないだのの噂、それからまったく関係ない学校や友だちの話も耳を澄ませば聞こえてくる。こんな話を岩ちゃんとしてみたかったなと思った。小さい頃はよくドラえもんなんかを一緒に観に来ていたけれど、いつからか映画館までくることはめっきりなくなってしまった。正しく覚えてはいないけれど、たぶん俺が告白するようになってからは来ていないと思う。そう考えるとほんのすこしだけ悲しくなる。

映画に誘っても、水族館に行こうといってもあるいはそれが駅前に新しくできたカフェであっても岩ちゃんは断った。どこか出かけるといえばたまに買い物についてきてくれるくらいで、二人きりの誘いはたいていそうだった。おんなじ場所でも部活のみんなが一緒ならオッケーしてくれるのに、岩ちゃんは俺とデートみたいなことをするのがすごく嫌みたいだった。

ねえなんでダメなの、前にきいたら岩ちゃんは
「ふつうの女の子と付き合えよ」
って言っていた。もう一度なんでと聞こうとしてけれど聞けなかった。苦い顔した岩ちゃんの唇はちょっとだけ震えていた。声もほんのすこし上ずっていた。俺はそれですべてを理解した。(そういえば俺が好きだというたび岩ちゃんはいつもその表情をしていた)

岩ちゃんはきっとその方が俺のためになるからとか、そんなくだらないことを考えて俺を振っているのだ。(本当は俺のこと好きなくせに、)ばかみたいに。(岩ちゃん以上に好きになれる相手なんて俺にはいないのに、)ばかみたいだ。そんな岩ちゃんだから好きだ。ばかみたいに俺のことばかり考えて俺を振る岩ちゃんだから好きだ。たまらなく好きだ。岩ちゃんに「ダメだ」とか「ヘンなこと言ってんじゃねえ」とか言われるたび、俺はばかみたいにまた岩ちゃんのことを好きになる。

本当は今日だって一緒に来てくれる女の子なんてたくさんいるのにそれでも連絡するに気にはなれなかった。岩ちゃんと映画を観たかった。幕の上がるぎりぎりの瞬間まで、岩ちゃんがもしかして来てくれるんじゃないかってくだらない期待をしていたかった。(やっぱり俺はばかなんだろう)

キンコンカンコン、映画の初めを告げるチャイムが鳴る。目を開けた俺はふと思い出してポップコーンに口をつけた。キャラメル味を買ったはずなのに、それはしょっぱかった。


そういえば映画どうだった?
次の日学校に行くと岩ちゃんは思い出したように俺に聞いた。本当は誰と行ったのか気にしている顔だった。だからひとりで行ったとは言わないでやった。

「つまんなかったよ、全然、ぜーんぜん駄作」
「ハ、なんだそうかよ」
「うん、ユキちゃんにも観なくてよかったよって後で報告しなきゃ」
「ふーん」

正直な話をすると映画はおもしろかった。名作と言っても多分いいくらいだろう。ベタな話だけどベタなりに感動した。でも嘘をついた。楽しかったと言えばなんだか岩ちゃんと行かなかったのにそれでもよかったみたいなそんな感じがするから言いたくなかったのだ。

「ねえ、岩ちゃん今度は付き合ってよ、」

食堂に向かう廊下で背中に飛びつきながらそう言えば、岩ちゃんはやっぱりめんどうくさそうな顔でだめだといった。声とともにすこし震える背中に、俺はまた岩ちゃんのことを好きになった。






(2013.0617)