岩ちゃんは百円でやらせてくれる。

正確にいうと百円のアイスでやらせてくれる。付き合い始めた年の夏に俺がしたいと言ったら、「アイス買ってきたらやってもいい」と言ったからそうなった。(冬は百二十円のコンポタだから、ほんのすこしだけお高くなる)

夏場はだからせっせと坂道を歩いて家の裏の雑貨屋にアイスを買いに行く。誰も正式な名前を知らない通称「裏のお店」は、近所のおじさんが家の一階を使っていつもだるそうにうちわ扇ぎながら経営している雑貨屋だった。

ほこりくさい店の前に飛び出た冷凍庫をしばらく上から眺め、今日はスイカバーを一本取り出してレジに持っていく。おじさんのお母さんらしきおばあちゃんが店番してるときはもう一本おまけしてくれることもあったけれど、今日は本人がレジの前に座っているからちょっとだけ残念だ。

百円玉をハイと渡して店を出ると、八月の太陽は途端にカッと俺を焼いた。眩しさに目を細め、背中を焦がされるように早足で来た道をさかもどる。田舎の山路といえど曲がりなりにもアスファルトは舗装されていて、反射熱がじりじりと暑かった。

アイスの溶け切るまえに、なんとか岩ちゃんの家に着かなくちゃ。ひたいに汗がにじむのを腕でぬぐって、俺は角度の急な坂道を登る。自転車を使わないのはこのせいだった。登りは俺でもきついのだ。自転車抱えて上がると下手すれば歩くよりかかるから、しかたなくこうして登っている。

軽く息を切らして長い坂を登り終えると、俺の家はもうすぐそこ、岩ちゃんの家はそのお向かいにあった。ピンポンだけ一応鳴らして、おばさんは出てくるようすがないから玄関を開けて勝手に上がる。昼過ぎの今はたぶんパートに出ている時間だろう。

二階の岩ちゃんの部屋を開けると、岩ちゃんは窓際のベッドに寝転んでジャンプを読んでるところだった。クーラーが効いてて気持ちいい。

ドアを閉めてぺたりと床に座り込めば、ちらりと顔を上げた岩ちゃんは「麦茶勝手に持ってきていいから」と俺にいう。うんとうなずいて片手に持ってたスイカバーをさしだした。岩ちゃんは眉根にしわをよせた。

「なにおまえ、このクソ暑い中行って来たわけ?」
「むっ、そうですよこのクソ暑い中俺超がんばったし。ほら岩ちゃんさっさと食べてよ、そんでかまって」
「ハ、やらせろの間違いだろ」
「も〜そうゆうのストレートに口に出すのやめてっていっつも言ってんじゃん」
「んー」

ぜったい聞いてないし。まあいいけどとハンカチを取り出してうなじを拭う。急に涼しい部屋に入ったせいで、汗はひやりと冷たかった。喉は乾いていたけど一階に麦茶をとりにいくのもめんどうで、ベッドに背中からもたれかかる。

袋から取り出された棒アイスはすでにいくらか溶けていて、岩ちゃんはすこし慌てた顏でぱくりと噛りついた。そのとなりで俺は岩ちゃんが食べるのをぼうっと眺める。水滴が零れ落ちそうになるとそのたびちらりとのぞく赤い舌はいやらしかった。

初めのうちはぺらぺらとジャンプをめくりながらアイスを食べていたが、やがて氷だったものがたらたらと棒を伝うようになると岩ちゃんはもう片方の手もアイスの下に添えてぱくぱくと急ぐようになった。冷房の利いた部屋でもさすがに窓の隙間からしのびこむ夏は容赦がない。スイカバーは百円のくせに大きくて、岩ちゃんの手のひらはすぐにべたべたになった。シーツに零さないよう露を追いかける必死な顔をしばらくながめ、満足したところでねえと声をかける。

「岩ちゃんつづき、俺が食べてあげよっか?」
「っ……!」

岩ちゃんはキッと眉を持ち上げて俺をにらんだ。氷を噛むその顔が、染みる冷たさのせいでなく歪むのがわかる。俺は笑って、べとべとの棒に手を伸ばした。


アイスなんて、本当は口実に過ぎないのは知っていた。ただ素直に「いいよ」とは言えないから、岩ちゃんはそんなふうに言ってみせただけだ。

(だって、そうじゃなかったら嫌いなものをわざわざおいしいふりして食べる必要なんてないんだから)

岩ちゃんから引き継いだアイスに噛りつきながら俺はベッドの端に座る。岩ちゃんは不機嫌な顔を隠しもせずティッシュで汚れた手のひらを拭いていた。

ふつうのスイカは好きだけれど、小さいころからスイカバーは嫌いな岩ちゃんだ。口に出したことはないが昔俺の家でおやつに出たときちょっとだけ困ったような顔してたからそのとき気がついた。

それを思い出したから今日はわざわざそれを買ってきた。さっき袋をさしだしたとき顔をしかめたのは、文句を言うためというよりは単純にその味がいやだったからだろう。それなのに開けて食べてくれたから嬉しかった。本当はちょっといやだけど、それでも岩ちゃんは俺とセックスするのを天秤にかけてそっちを選んでくれたのだ。なんてかわいい岩ちゃんだろう。なんて不器用な岩ちゃんだろう。(岩ちゃんがひとこと「したい」って言ったら俺はなんだってしてあげるのにね)

にやにや笑いながら最後のひとかけをくちに流し込むと、短パンから伸びた岩ちゃんの足は床に置かれた扇風機のスイッチを無造作につけた。何気ない仕草がこの後の行為を予感させてすこしもえる。

木の棒をポイとゴミ箱に放れば岩ちゃんは俺の肩をとんと押してお腹の上に跨った。

「え、なに岩ちゃん乗ってくれるの? やだ〜、やる気満々じゃーん」
「バカ、明日部活だからおまえが勝手しねえようにだよ」
「あは、岩ちゃん嘘つくのほんっと下手くそ」
「うっせ、黙れクソ川」

図星突かれるとそれしか言えないのも子どものころからずっと変わんないよねえ。思ったけどこれ以上からかうと本当にすねてしまいそうだから喉の奥にそっとしまっておく。

かわりに「そういえばさっきの当たりだったけど、今度もう一本もらってこようか?」たずねると岩ちゃんはひどく苦い顔をして、まっぴらごめんだと俺に噛みついた。人工的につくられた、甘ったるいスイカの味だった。






(2013.0608)