※岩ちゃんの彼女が出てくるので、注意してください。あと及川がひどいです






ぽつ、ぽつり。

降り出した雨は正門を出るころには、すっかり立派な夕立になっていた。梅雨入りまえの五月、部活帰りに傘を持っていたのはほとんど半分で、俺は水玉の折りたたみをひろげた及川のとなりにすっと入る。

「あ、岩ちゃん、」
「え? ……あ、」

いつものことだったからなにも考えずそうしたが、割り込んでからそういえばそれまで及川と話していた金田一と目が合った。あ、と困った顔をする後輩をそのむこうで花巻がおいでと手招きする。花巻は松川の横におさまっていた。松川の支える紺地の傘は大きいから、こういうときいつも松川は人気者になる。

あざす、ことわって金田一はその下に身を寄せる。及川はハアとため息をついた。

「ごめんね金田一、俺だってかわいい後輩に傘を貸してやりたい気持ちでいっぱいなんだけど、でも、ちょーっと岩ちゃんが俺のこと好きすぎるもんだからさ、」

だから恨むなら岩ちゃんを恨んでくださいネ! 言い切る頭をげしと殴る。「これだから岩泉夫妻は」と花巻に笑われる。おい花巻そう呼ぶのやめろって言ってんだろきもちわりい。えーでもじっさいそんなもんじゃんいっつもさあ、悪びれず笑うのをキッとにらむ。

「……おまえ今日の選択寝てたけど俺のノートぜってー貸さねえかんな」
「! えっ岩泉くんこっちの傘くる? 来たい? オッケーいいよ、金田一とチェンジしよっか?」
「いやおまえそれ自分の傘じゃねえだろが」
「大丈夫松川のものは俺のものだから」
「……」

ちらりと見やった松川の顔は認めてるというよりめんどくさいから黙ってる顔だった。正解だなと思った。花巻と俺のあいだに挟まれた金田一はおろおろと俺たちを見比べている。及川が笑って口を挟んだ。

「まあまあノーチェンジでいいじゃない、俺も岩ちゃんの方がちっちゃいから傘差すのも楽だしさ」
「よし、クソ川歯ァ食いしばれ」

そのあとは及川を殴るので忙しかったからけっきょく俺はそのまま及川の傘で家に帰った。花巻たちはそんなようすをあきれたように眺め、金田一はやっぱりだいたいおろおろしていて、及川はやっぱりへらへらと笑っていた。クソが、しねと思った。


岩ちゃんのせいで濡れちゃったからお風呂貸してねと言って及川は家に寄っていった。そうして勝手知ったる俺んちの風呂でシャワーを浴びついでに夕飯をニコニコたいらげ、今は俺のベッドを占領して食休みに雑誌を読んでいる。及川がくるとうちの食事はなぜかすこし豪華になり、母親と姉ちゃんはいつもより愛想がよくなるから世の中はまったく理不尽だと思う。

フロリングの上寝そべってモンハンやってると、及川は雑誌に目を向けたままふと口をひらく。

「そういえばさあ、岩ちゃん告られたんだって?」

ぴくり。耳を傾け少し迷って、俺はそれからゲームを止めた。なんで知ってんだよ、たずねればカノジョから聞いたと及川はいう。今日俺に告白してきたそいつと及川の彼女とはたぶん面識がなかったはずだから、たぶん彼女は彼女でどこかから聞いたんだろう。(女子たちの噂って、怖いよな)

「てか、だからなんだよ、おまえには関係ねーだろ」
「え〜? あるよー、あるある、」

“だって岩ちゃん俺のこと大好きじゃん“

そう言って及川は笑う。今日だってけっきょく俺の傘ゆずんないし。続ける口ぶりはいかにも楽しそうだ。俺は唇を噛んだ。クソ野郎、喉から絞り出すと及川はようやく俺を見て、それから薄く微笑んだ。

それはついさっき冗談で言っていたのと似ているようで、けれどまるでちがう意味のことばだった。俺が及川を冗談抜きに好きだってこと、本当は及川本人が一番よく知っている。だって中学二年生のころ「そうなの?」ってきかれたから思わずうなずいたのだ。うなずいたら何かしらの返事があるものだとそう思っていた。

でもそうじゃなかった。及川はそうなんだといっただけで、それから俺のことを好きだともきらいだとも言わなかった。そうしてその一週間後くらいには最初の彼女と付き合い始めていた。

本当に最低な及川だ。彼女をつくったことがじゃない。なにも言わなかったことが最低だ。だから俺はくだらない期待をずるずると引きずってクソみたいなこんな男にいまだに惚れているのだからまったく笑えない。

付き合うの? と及川はきいた。付き合うけど、と答えてやった。ふうん。興味なさそうな返事だった。しばらくして、

「どうせまた泣かせちゃうんじゃない」

及川はぽつりとそうつぶやいた。おまえが言うんじゃねえよ、俺のシャツを着て俺のベッドで雑誌を読む俺の好きな相手をにらみながらそう思ったが、及川はやっぱりぺらぺらとページをめくるだけだった。俺が自分に似た雰囲気の女子とばかり付き合って失敗するのを知っていてただ眺めている、最低な男だった。


けれど、今回はなにかがちがうようだと気づいたのはそれから数日あとのことだ。

新しい彼女はいままでの誰より及川によく似ていた。見た目からして色素のうすいくせっ毛だったし、ころころ変わる表情も、すぐ調子に乗るところだってそっくりだった。

これまで付き合った相手とは、及川とちがうところを見つけてそれが気になっていつもだめになったが今回ばかりはその限りじゃなかった。

まるで及川が女になったみたいだった。顔は正直言って及川みたく学年で目立つほどの見た目じゃなかったが雰囲気がよく似ているタイプだった。

誰かと付き合って一ヶ月つづいたのはこれが初めてだ。季節は気づけばすっかり雨の時期に移り変わっていた。この時期は髪が跳ねるからきらいだといったとき俺はたぶん彼女のことをすこし好きになったと思う。だってそれは梅雨がくるといつも及川がいう言葉だった。

及川本人の方はこのところいつも機嫌がわるかった。まあどうせ例年どおりの理由なんだろうと思ったから放っておいたらますますだめになったようだった。一週間で付き合った相手を二、三人ポイ捨てしたはなしは自分の彼女の友だちの友だちから聞いた。今年はいつもより荒れてるなと思ったがやっぱり放置した。

しょうじきなことを言えば俺はすこし浮かれていたのだ。初めて及川以外のだれかを好きになれるかもしれないと思った。かぎりなく及川に似ているけれど、でも及川じゃない他人に好意を持てるかもしれないと思ったらすこしだけ嬉しかった。今まで俺を好きだと言って付き合ってくれた相手にはだいぶ失礼なことをしたから、たぶんその負い目もいくらかあっただろう。

梅雨が明けたら海にいこう、初めて俺からそう誘った。うれしい、そういってニコニコ彼女は笑った。こんなやりとりを及川ともしたかった。そう思う部分もどこかあったが俺の気持ちはほんのすこしだけ彼女に移っていた。

及川が俺の家に来たのは、そんな梅雨明け前のことだった。学校の終わったあと近所の及川が寄っていくのはよくあることだったが、最近は彼女と電話したりする方が多かったから部屋に上げるのは数週間ぶりだった。

冷蔵庫に作ってあった麦茶を持ってきて、それから及川はいつものようにベッド、俺は期末試験も近いから勉強机にむかう。かたちばかりリーダーの教科書に目を通す及川は気まぐれに英和辞書貸してとか言って俺に頼んだがそのうちただの嫌がらせだということに気がついてやめた。だってなんでリーダーで古文の資料集が必要なのだ。「おまえそれどう見たって俺の古典妨害したいだけじゃねえか」俺は途中で切れたが及川は「あ、ばれた?」と悪びれず笑うだけだった。

「だって、最近岩ちゃん構ってくれないんだもん」
「俺だって、まあいろいろ、その、忙しんだよ」
「へえ、……今の彼女そんなにいいの?」
「え? あ、……そうだな、すぐ甘えてくるし、わがままなとこあるけどいいやつだよ。弁当作ってきてくれるし、」
「ふうん、岩ちゃんのこと好きなんだね」

及川は聞いたくせに、興味なさそうな顔でてきとうなことを言って、そうしてぺらりと教科書を一枚めくった。それからなにげない口調で、まあ俺も好きだけど、という。

「……え、」

なにげない言葉に一瞬理解できなくて、すこし考えてようやく飲み込んで、それからああ、と俺は頭を両手で抱え込んだ。(だってまさかこんなタイミングであのときの返事がくるなんて思わないだろ、)

及川はまったくクズだった。ついさっきまでほんのすこしだけ誰かに移っていた俺の迷いはそのときかけらもなく打ち砕かれたのだ。ただ一言でそれは迷いだったと気づかされた。やっぱり俺には及川しかいなかったのだと痛感させられた。

これ以上ないタイミングだった。これまでだってたいがいこいつのことしか見てはいなかったが、最後のとどめを刺されて俺は本当にもう及川のことしか考えられなくなってしまった。(あるいはこのときを及川は待っていたのかもさえしれなかった)

俺がすこしでも他の誰かに惹かれた瞬間そんなこと言って引き戻す及川は最低だったけれど、そんなやつのことしか考えられない俺だってたいがい悪趣味なんだろう。ふりかえると及川はひどく残酷な、それはうつくしい顔をして笑っていた。

俺はもう一生こいつから抜け出せないんだろう、そう思ったときには及川の頬に手をのばしていた。俺のこと選ぶとおもってた、そういって及川は俺の背に触れた。



(2013.0518)