菅原×烏養






(大人ってとおいな、)

財布に出せなかった千円冊をしまいながら、俺はぼんやり考える。烏養さんはさっさと支払いを済ませて、気づいたときにはもう店を出るところだった。

「ごちそうさまです!」

慌ててお礼を言ってその背を追うと振り返った烏養さんはおうとうなずいて、それから引き留めてわるかったなとあやまる。イエそんなことないです、首を振って俺はそのとなりを歩き出した。日のとっぷり暮れた駅前帰宅する高校生たちの姿もちらほらあって、その中を親でもない大人の男の人と一緒にいくのはなんとなく不思議な気分だった。

「菅原、ラーメン食ってくか」

烏養さんがそう俺を誘ったのはたぶん偶然だった。部活のあと忘れ物取りに戻った部室で出会った監督はふと思いついたような顔で言ったからたぶんそうだ。おどろいたけど断るのも失礼な気がしたから素直について行った。十五分ほど歩いたところにある駅前の、大地たちともよく行く店だった。

烏養さんはみそラーメン二つ座るなり頼んだ。カウンタの向こうのおじさんは俺と烏養さんを見て一瞬あれ? って顔したけどみそ二丁ねとくりかえした。(たぶん俺がいつもなら担々麺たのむのなんとなく覚えていたんだろう)

監烏養さんは頼んでからはっと俺を振り返り、「ワリいつもの癖で勝手に頼んじまったけど、」めちゃくちゃ焦った顔するからなんだかおかしかった。大丈夫ですよって言ったらすごいほっとした顔してた。俺よりずっと大人なのにころころ表情が変わる烏養さんは見てておもしろいと思う。

ラーメン食べながら烏養さんは俺の話を聞いた。俺は特別なにを話したいなんてこともなかったけど、でも烏養さんが授業はどうだとか彼女はいるのかとかそんなことを聞くからそのたびそれに答えていた。女の子とは付き合ったことないですとかなんで俺こんなこと烏養さんに話してんだろ、思ったときそれまで聞くばかりだった烏養さんはふと口を開いた。

「なあ、菅原、俺は話しかけにくいツラかもしれんが言われたらなんだって聞くからな」

一瞬なんのことだかわからなかったが、すこし考えてああと思った。

つい先週、試合には影山を使うべきだと言ったところだった。そのあと実際の練習試合に出る影山を見て、負けたくないと思ったところだった。後悔はしてないが悔しくて、いつもより多めに走った今日だった。

きっとそのすべてを見てたんだろう、監督はレンゲを口に運びながら、俺のこと恨んだっていいんだからなと言った。俺を見ずにそう言った横顔はひどくつらそうで、なんだかバレー部の俺を心配しているというよりただひとりの俺を心配しているようなそんな勘違いを思わずしてしまう。(絶対にそんなこと言わないだろうけど、)俺が本当に恨み言をぶつけたって、烏養さんは黙って聞いてくれるんだろうなと思った。

その店で初めて食べるみそラーメンが空になるころには烏養さんのことを好きになっていた。

帰り道烏養さんはすこしだけ遠回りをして俺の家の方まで送ってくれた。俺男だしいいですよと言ったのに、引き留めちまったの俺だからよと烏養さんは意外と律儀な性格だった。

「さよなら監督」

分かれ道俺は大きく手を振った。

次の日から坂ノ下商店に行くのは俺の日課になった。それまでだって放課後はよく肉まん買ったりするから寄ってたけど、最近は昼休みとかでも時間があれば行っている。買い物することもあるししないこともある。学校から徒歩五分のところに店があってよかった。

烏養さんは営業妨害だと嘆くが来るなとはけして言わなかった。むしろ店番で退屈してるときに行くとちょっと嬉しそうな顔をすることだってある。さらに機嫌のいい日はときどきアイスとかも奢ってくれた。店の冷凍庫からとり出して俺に差し出しながら、ほかに誰もいない店内をぐるりと見回してナイショだぞって毎回言う烏養さんはかわいかった。

俺たちはいろんな話をした。烏養さんのこともたくさん聞いた。ラーメンはやっぱりみそが一番なことも、ガラケーからスマホに替えるのがめんどくさいことも、新しい髪留め買ったのにソッコーで壊してもうあの100均は信じてないこともみんな、「監督」でいるときには話してくれなかったことだ。そういうことを知るたび俺は烏養さんを好きになった。ささいなことでもそれを知ってるのが俺だけなんだと思うと嬉しかった。

俺はまるで烏養さんのすこし特別になれたみたいな、そんな気になっていたのだ。そうしてひと月ほど経つころそれは勘違いだと気づかされた。

梅雨も近づいてきた、雨の日のことだった。降っているくせにむしむしして、喉が乾いていたから昼休み坂ノ下商店に行った。烏養さんはいつものようレジで店番をしていたが、俺を見るとあ、っていう顔をする。なんだろうと思ったけれどレジの前にはキレイなお姉さんが立っていたから、ああお客さんがきてるんだろう、そう合点して冷蔵庫の方にあるく。買い物が終わったら出てくだろうって思いながら、俺はのんきにジュースを眺めてた。

けれどちがった。

お姉さんは烏養さんのことをケイシンと呼んだ。俺が頭の中で何度か呼んでみてはやっぱりヘンなかんじだなと苦笑していたそれを、あまりにあっさりお姉さんは呼んだ。慣れているふうな話し方だった。棚の向こう二人の姿は俺から見えないが、狭い店だから烏養さんが低い声でなにかうなずいているのはわかった。

二人がそういう関係であることも、どうしようもなくわかっていた。

俺はなにも買わずに店を出た。喉はカラカラに乾いていたが、もうどうでもよかった。あんなに知りたかった烏養さんのことをまたひとつ知ったのに、それだけは知りたくなかったと思っている勝手な自分がいやだった。

その日の部活烏養さんはいつものように監督としてふるまったが、練習が終わると「菅原ちょっと」と俺を呼び止めた。そうして他のみんなが体育館を去ったのを見るとコートの端、「隠してたわけじゃねえんだけど、」という。あとに続く言葉はわかっていた。彼女とはいつから付き合ってて、最近はバレーで忙しくあまり会わなかったから話にも出さなくてというようなことを烏養さんはばつの悪そうな顔で話した。どこかぼんやりそれを聞きながら、すうっと血の気の引いてくのを感じてた。話を終えると気まずそうに黙ってしまった烏養さんに、俺はゆっくりとくちをひらく。

「烏養さん、知ってたんですね」
「……え?」
「俺が烏養さんのこと好きなの、知ってたんですよね」
「!」

だってそうでなければわざわざそんな言い訳、ただの部員にする必要ないんだから。

図星をさされた烏養さんの顔は真っ赤だった。向かい合う俺はどこか反比例するよう冷静になる。「いいですよ、」言葉はするりと喉を通って響いた。

「いいです俺、彼女いても勝手に烏養さんのこと好きですから」
「すが、」
「烏養さんが俺の気持ちわかってて黙ってたことも、俺、ちゃんと知らないふりするし、」
「……」
「それに、無理矢理手だししたりもしないから、」

だから好きでいるだけならいいでしょう?

たずねると烏養さんはひどくつらそうな顔をして、バカ言ってねえでとっとと帰れ、呼び止めたくせにそういって、俺の頭をぐしゃりと撫ぜた。ダメだとはけして言わなかった。ずるい大人の逃げ方だ。だから好きだった。

数日後あのラーメン屋に入る彼女と烏養さんの姿を見た。みそラーメンを癖で二つ頼んだのはつまりそういうことだったんだろう。すこし考えれば最初からわかっていたのに、俺は烏養さんの言うとおりまったくばかだ。そう思いながらその日は大地とほかの牛丼屋に行った。

「俺すっかりラーメンの腹だったのになんで急に牛丼なんだよ、」

監督の姿に気づかなかったらしい大地はそう言って不機嫌なので俺はさっくり話題をかえて烏養さんの話をした。彼女のことは言わずただ俺が好きなんだということだけを言うと、俺の奢りでちゃっかり特盛を頼んだ大地は「部活で面倒ごとは起こさないでくれよ」とだけ言った。世話焼きに見せかけて案外あっさりしている男だ。(でも俺が振られたとかいって泣きついたらちゃんと話聞いてくれるんだろう、大地はそういうやつだった)うん面倒にはしないよ、うなずいて丼の上に紅しょうがをのせる。そういえばラーメンは好きだがこれだけはだめだといって自分の方にそれを差し出したあの日の烏養さんを思い出して、今ごろ彼女に同じことをしているんだろうか、俺はぼんやり考えた。

坂ノ下商店に通う日々はそれからも変わらなかった。昼休みだろうと朝だろうと、時間があれば傘をさして烏養さんのところにいく。

烏養さんは俺が来るとすこしどきりとした顔をするようになったがしかし俺への態度を変えることはなかった。あいかわらずくだらない俺の話を聞いてくれて自分のこともいくらか話してくれて、俺が帰るときにはおう風邪引くんじゃねえぞと見送ってくれる。どこまでも大人の男だった。

そんなところに憧れて、でも俺の手は届かないから悔しくて、けれどそれでも監督じゃなく烏養さんに会いたくて俺は通いつづけた。これだけ通ってるんだからそろそろポイントカードでも作りましょうよと言ったら烏養さんは笑っていた。ついでにポイント貯まったら烏養さんください、続けたらアホかと叱られた。半分冗談だったけど半分は本気だった。

烏養さんはそんな俺をわかったのかその日は久しぶりに「ナイショのナイショだからな」と言ってハーゲンダッツを奢ってくれた。白いスプーンを渡す烏養さんの顔はひどくやさしかった。

そうしてそれは数週間後、梅雨の明けが近づいてきたころのことだ。いつものようレジの前で話をしているとふいに、俺別れたからと烏養さんは言った。あんまりとうとつだった。

なんでと聞いたけれど烏養さんはすこし疲れた顔で笑って俺を見つめるだけで、それぎりなにも言わなかった。

最後までずるい人だった。

その手首をつかんで引き寄せても、烏養さんはやっぱりなんの抵抗もしなかった。がっしりした身体を抱きしめると染み付いた煙草の匂いがする。そういえばファーストキスだった。



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かいてみたよ
なにか思いついたときに後半は書き直すかも
監督ちょっとダメ男臭がする
(2013.0510)