(あ、またか)

サーブ打とうとして止める。朝日まぶしい体育館、さわやかな怒鳴り声に振り返ればコートの隅では恒例のケンカがもう始まっていた。いつだって先にカッとなる短気な影山の身体をすぐそばにいたスガさんがすばやく取り押さえにかかっている。アルソックもびっくりだよな、つぶやけばとなりにいた縁下が噴き出して笑っていた。

「はは、田中はアレ、手伝いにいかなくていいの」
「いやーボクケンカとか物騒なこと苦手ですしィ、」
「えーでも、スガさんひとりで頑張ってるじゃん」

まあそうだけどさあ、思いながら練習の止まったコートを見回してみる。一緒に仲裁しにいきそうな大地さんはちょうど用事で外していたから、たしかに影山と日向にかまっているのはスガさんだけだ。他の部員はこのひと月でもう慣れたから、やっぱり俺たちみたいに世間話をしながらそれの終わるのを待っている。

じっさいのところ二人のケンカを止めるのにスガさんひとりいれば十分だった。影山と日向はおまえら別の言語でも喋ってんじゃねえのってくらい話が通じないコンビだけれど、スガさんがあいだに入るとだいたい同じ言語の、ちょっと方言入ってるけどまあわかる、ぐらいのところまでは話を持って行ってくれる。あいつら相手にすげえと思う。俺は仲立ちはめんどくさいからいつも笑いながら見てるだけだ。毎回律儀に面倒見てやるスガさんはまったくいい先輩だった。

(……ていうかちょっと、「いい先輩」すぎるよな、)

行き場のなくなったかわいそうなボールを手のひらで遊びながら、ほんのちょっとだけそう思う。

去年までスガさんに叱られるのは俺くらいのものだった。一緒にやんちゃをしていたノヤさんもときどき怒られることはあったが、それでもたぶん俺のほうがずっと多い。他校にケンカ売ったり女子更衣室のまえで探偵ごっこしたり、俺がその場ののりでバカなことするたびスガさんは飛んできて一緒に頭を下げてくれた。

なんもしてないスガさんにまで謝らせるのはわるいからいつもすんませんとあるとき言ったら「お前がなんかやるとバレー部に迷惑がかかるからやってるだけだよ」といって笑っていた。二人でいるときによく見せる顏だった。嘘をついているときの顏だった。スガさんはずるい。ずるいスガさんはまだ日向と影山の話を聞いている。たん、たん、と手持無沙汰なボールを床に跳ねさせた。今日は長いねえ、縁下はのほほんとそういった。

四月にはいってからスガさんに怒られるのは俺だけではなくなった。今年入ってきた一年はわんぱくばかりだから、スガさんはしょっちゅうそっちを構いに行っている。特に影山だ。今だって後ろから抱きつくみたいにして押さえていた。そういうのを見るとちょっとだけ妬ける。中学生のころ好きだった担任の先生が次の春ちがう学年を持って、そのクラスの生徒と笑っているのを見たのと同じような気分で、なんとなくおもしろくはなかった。

にしてもいいかげん終わったころかな、ちらりと見れば二人を元のポジションにもどしたスガさんと目線が合う。大きな目をまばたかせるとスガさんは笑って、ほら田中にも、と二人に言った。影山と日向が振りかえって、

「中断してすみません!」
「サーブお願いします!」

素直に頭をさげられるとなんだか妙に気まずい気持ちになる。おう! と空元気に威勢よく返して打ったサーブはあっさりネットに当たって、ぽしゃりとむなしい音をたてた。

朝練の終わり部室にもどって着替えていると、「田中調子悪そうだけどなんかあった?」スガさんはなにげなくそうきいた。ホントのところなんか言えるわけもないからちょっと腹壊してるんスよ、てきとうに言ったが俺は嘘がへただからきっとばれていたんだろう、教室に着くころには別れたスガさんからメールがあった。『今日屋上で食べるからね』人の都合も聞かず勝手に決めるスガさんは多分ちょっとひどいんだろうが俺はそれでもハイと返す。スガさんがほかの誰かにこうやって好き勝手をいうところはあまり見なかった。

昼休みは購買でパンを買って屋上にいく。屋上に通じるドアの鍵が壊れていることはほとんど知られていないから、いつ行っても他の生徒がいるのは見なかった。陽当たりのいい給水塔の裏にいくと、スガさんは先に弁当を広げて待っている。

「ちわス」
「おー、……っておまえ、」

そんなに抱えてなにが壊してるだよ、俺を見るなりスガさんが笑う。

「あっ、ちちち、ちがうんスよこれは!」

慌てたせいで両手に抱えたパンの袋をいくつか取り落す。コンクリートにぽすりと落ちたうちのひとつを拾うとスガさんはああとうなずいて、

「俺の好きなの買ってきてくれたんだ?」

一瞬で話が通じるからやっぱり見透かされているような気がして嬉しくなる。これと、あとこれも好きですよね! メロンパンだの苺ミルクパンだのを渡すとおいおいそんなに食べきれないよとスガさんは笑ったが、それでもたぶんてきとうに分けて食べてくれるんだろうなと俺は思った。残った自分の分をひろげてスガさんのとなりに座る。

そういえば二人で食べるのは久しぶりだった。新学期始まってクラスだって変わったし後輩が入ってきてばたばたしていたのもあったから、もしかしたら二年に上がってからはこれが最初なのかもしれない。クラスどーよ、同じように思ったのかたずねてくるのにぼちぼちッスねと返しながら焼きそばパンを頬張る。

「スガさんはどうすか、三年」
「え? ……んー、そうだな、あっというまって感じかなあ。一番上って、いまだになんかへんなかんじがするよ」
「そんなもんスかねえ」
「てかお前こそどうだよ、田中先輩」

後輩できてうれしいんじゃねーの、ニコニコ聞かれて言葉に詰まる。だって今朝だって後輩に妬いてたみっともねえ先輩だ。なんて言おうか、俺が黙っているとスガさんはなにもいわなかった。俺のはなしをいつだって待ってくれる人だった。しばらく考え込んでいたが結局ろくな言い回しもばかな俺には思いつかないから、ただ思ったとおりをスガさんに話す。

「スガさん俺、いっこした入ってスゲ嬉しいんスよ」
「うん、だろうね」
「そうなんす。日向とか犬みたいについてくるし、影山はアホだし、月島と山口あいつらはあいつらでおもしれーし、」
「はは、そだね」
「でもなんかだめなんすよ。スガさんがあいつらのことかまってんの見ると、なんつかこ〜……むしゃくしゃするんス」
「え、俺?」

スガさんはきょとんと自分を指さした。そう、そう、とうなずけばそのまましばらくぽかんとしていたが、やがてぶは、と噴き出し笑う。笑われっかなとは思っていたが本当にそうされるとさすがにちょっと恥ずかしい。ぶすっと黙ってコロッケパンをかじっているとようやく笑いのおさまったスガさんはぽつりと、「かわいいね」俺に言った。

「か!? か、か、かわいいってなんすか、かわいいっていうのはホラ潔子さんとか! 潔子さんとか潔子さんとかそういう!」
「あっは! おまえ清水以外になんかないのかよ。清水かわいいけどさ、……まあでも、」

やきもち妬いてくれたのうれしかったよ、とスガさんは言った。かるく三回しにたくなるくらいは恥ずかしかったが、スガさんが嬉しいならまあいいやと思った。そう思ったらべつにちょっとくらい妬いてもいいような気がして、かんたんな俺はそれだけで気楽になる。やっぱりスガさんはすげえと思う。

昼飯を食べ終えると今日うちおいでよとスガさんは俺にいった。どうせ腹壊してないんだろ、明日休みだし、前使ったゴムまだ残ってるし。さらっという口を思いきり手でふさぐといたずらっぽい目をしてぺろっとやってくるからたまったもんじゃない。思わずヒッと腰が砕けてずるずる崩れ落ちるとスガさんはふと思い出したように、こんなことは他の後輩にはしないからだいじょうぶだよ、というので俺は頭を抱え込んだ。数分前すげえとか思った自分を殴れたら殴ってやりたかった。「え、泊まってくよね?」「いやまあそうですけど」




(2013.0502)