やっぱ潔子さんみたいな人スかねえと西谷はいった。ぼうっと着替えていたから部室の会話はほとんど聞いていなかったけれど、そのあとの巨乳とか黒髪とかの流れでみんなが好きなタイプの話をしていたのはわかる。俺は口をつぐんで制服を羽織った。そういう話を人とするのは恥ずかしいから、あんまり得意じゃない。(それに、なにより――、)

ちらりと縁下の向こうで着替える西谷に目をやった。好きなタイプはああいうの、というか西谷本人だ。そんなことこんなところで口にできるはずもない。けれどそう思って黙り込んでいると不意にうしろから肩をたたかれた。

「で、おまえは?」

にやにやとこんなときばかり人のわるい笑み浮かべる大地にしにたくなる。黙ってたのに。すごい気まずかったのに。腐れ縁で付き合いばかりは長いんだから、こういうの俺が苦手なの絶対に知ってるくせに。

べつにそういうのないよ、ごまかせばまたへなちょこ、へたれとけらけら笑われる。そのくせこれで悪気はないんだから、本当にたちのわるい澤村大地だ。俺がぐぬぬと返す言葉をさがしていると、見ていたノヤがさらりと口をはさむ。

「じゃあ旭さんは、好きになった相手がまんまタイプなんすね」
「あ、……う、うんそう、それ、それです、ハイ」
「ハハ、なんで敬語! うけるー」

西谷はそういっておかしそうに笑っていた。俺が困っているといつだってさりげなくフォローを入れて、あっけなく笑う西谷が好きだった。自分でも赤いとわかる耳を隠すようにいそいそと服を着替え、さきに待ってるからと背後に残して部室を出る。季節は五月に移り変わったといってもさすがに日が落ちればすこし冷えて、火照った顔にはちょうどよかった。部室棟を降りて門の前でみんなが来るのを待っていると、他の部活も終わったころなのかちらほらと帰宅する姿が見える。その中のひとりにふっと目が留まる。

流れるような黒髪だった。清水とちがって眼鏡はかけていないけれど切れ長の目をした、きれいな顔立ちの女の子だ。そういえばどこかで見たことあるような? 思っていると俺の視線に気づいた彼女がふりかえる。正面から目が合ってようやく、俺は彼女のことを思い出した。二年生の頃いっとき保健委員で一緒だった、となりのクラスの少女だ。二年のあいだに背も髪も伸びていたからぱっと見ても気付かなかった。むこうも俺がわかったのか、東峰くん、手を振って歩みよってくる。

俺たちはそのままかるく世間話をした。久しぶりだねえとか部活がんばってるのとか、そんな他愛もない話だ。それもすこしすると小ぶりな腕時計を見た彼女が「やだ塾の時間」と言うので終わる。がんばれよと手を振ってからも、しばらく俺はその背をみつめていた。西谷はああいう子が好きなんだろうかと、そう思っていた。すると、

「旭さん、」

突然うしろから声をかけられはっとする。たった今思い描いていた相手がいきなり登場したのにはさすがにびっくりだ。お、おう、とぎこちなく返す俺にノヤはすこし不思議そうな顔をしていたが、そのうちいつものように今日の部活の話が始まったので俺はほっとした。

部室の鍵を閉めた大地がやってきたのでみんなでわいわいと家路をあるく。部活のあとの帰り道はいつも小学校の登校班みたいだ。全員でてきとうに縦にならんで、時折り車が通るとばらばらにそれを避け、そのうちひとりふたりとばらけてゆく。俺と西谷はいつも道の半分ほどでみんなにさよならした。今日も同じよう背後に手を振って別れると、それまでいつもみたいなバカな話をしていた西谷は不意に声のトーンを落とした。ねえ旭さん、いつになく落ち着いた声で話しかけてくるのでなんだろうと見れば、西谷は前を向いたままぽつりという。

「旭さん、あの人のこと好きなんでしょ」
「? あの人って、」
「さっきの。門の前で話してたじゃん、あのキレーな人」
「!」

思わず俺がうろたえると、西谷はやっぱり、という。否定しようとしたが上手い言葉は見つからなかった。だってノヤが好きそうだなんて思って見てたのにそんなの言えるわけないし、こういうときじょうずな嘘が吐ける大地みたく俺は性格もわるくない。どうしようなんて言おう、言葉に詰まっていれば西谷はふいに俺を見上げ、ニカ、と笑ってみせた。

「大丈夫っス、俺、応援しますよ!」
「え、」

旭さんちっと押しが弱いとこあるけど、顔はまあわるかないし、喋れるってことは向こうも怖がってないんだろうし、あっそれに俺、あの子のことまわりにも聞いてみますよ! 西谷はそう言ってニコニコと、俺の「恋」の話をした。ついさっきまで必死にそれを否定しようとしていた俺は、瞬間どこかにくしゃりと消えた。ありがとなと、返す声色ふるえてないか、ただそれだけが心配だった。西谷は俺の恋路を応援すると言った。そうしてその瞬間、俺の恋は終わったのだった。

西谷はそれから、本当に彼女のことを調べてきた。今のクラスに出席番号、部活のようすや友人関係、広い友だちのつながりからそれを聞いてはその逐一を嬉しそうに報告にくる。そういうとき西谷の顔を見るのはつらかった。俺がどれだけ西谷のことを好きだって、むこうにとってはただの部活の先輩でしかないのだと無邪気に突きつけられるから重かった。それでも休み時間のたびノヤが教室にくるんじゃないかとついつい振り返ってしまう、自分がなによりいやだった。

そうして西谷が「旭さん今なら」と切り出したのは、中間テストも終わったある日のことだ。聞けば彼女には彼氏がいたが、つい先日に、別れたという。なんで別れちゃったんだよ彼氏と内心で思ったが西谷はやはり嬉しそうに俺を見上げて言った。

「告るしかないっすよ旭さん、ね! ねっ!」

もうほとんど投げやりにそうだねとうなずきながらその笑顔をまた好きになる俺は、たぶんとほうもなくばかなのだろうと思った。

その日の昼休み「話があるんだけど」と三つとなりの教室を訪れると彼女はすんなり応じてくれたが結局俺と彼女はその一日中庭でのんびりお弁当を食べただけで、それだけだった。話と言うのは受験の話題ということにすれば、もう模試やら塾やらを意識しはじめている彼女はなんの疑いもなく俺の相談にのってくれた。ノヤと出会う前に彼女のことを知っていたらもしかしたら本当に彼女のことを好きになっていたかもしれないという考えがちらりとよぎったが、すこし考えてやっぱりちがっただろうなと思った。

別れる間際に彼氏のことをそれとなく聞くと、「受験のことでけんかしちゃっただけだし、そのうち仲直りするつもりだよ」と彼女はあっさり笑っていた。彼氏よかったなと思った。

ほっと肩の荷が下りてその日の放課後は自分から西谷を教室に呼んだ。掃除も終わってクラスメイトの姿はもうひとりもない。それでも一応教室のドアをしめて、その日の話をノヤにする。告白したけど、でもやっぱりだめだったよ。五、六限のあいだじっくり考えた嘘をつくと西谷は悲しそうに顔をゆがめるのですこしだけ心が痛んだけれど、あのさと俺はつづきを話す。

「あの子、彼氏とはちょっと喧嘩しただけなんだって」

うん。これは本当のことだ。嘘じゃないから胸も痛まない。だから応援してくれたのにわるいけど、と俺が話をまとめようとすると、ちょっと待って、険しい顔をした西谷に止められる。

「? あの、」
「旭さん、なんでですか」
「え?」
「旭さんどうして、俺に嘘つくんですか」
「!」

図星を突かれて思わずうろたえると、西谷はずいと歩み寄り俺の腕をつかんだ。不意に近づいた真剣な顔にどきりとする。嘘なんかついてないってと思わず吐いた俺の嘘はあまりに白々しかった。そのときばかりは大地みたくなれたらいいのにとわりと本気で思った。嘘つけアンタわかりやすいんだよ、ノヤにはやっぱり一瞬でばれる。

どこからですかと、西谷はきいた。

「いったいどこからだよ、彼氏と喧嘩してるとこ? 彼女に告白したってとこ? それともホントは、――あの子のこと、好きってとこから嘘なのかよ、」
「っ!」

カアと血が上るのは、たぶん一瞬のことだった。

「だってしかたないじゃないか! 俺は本当はノヤが好きなんだから、そんなの言い出せないだろ!!」

気づいた時にはもう叫んでいて、それから俺ははっとする。

「……あ、」
「……えっ」

ノヤは大きな目をぱちくりとさせて俺を見た。瞬間顔中が沸騰したみたく熱くなって、あ、とかう、とかフォローしようとして出来ない言葉ばかりが口から零れ落ちていく。こんなときまで俺はだめだった。もう西谷に振られるにちがいない、さいあく先輩として今までみたく接してもらえなくなったって文句はいえないだろう、ぐるぐると走馬灯みたく西谷との思い出がかけめぐり泣きそうになっていると不意に、俺の腕をつかんだ西谷がくっと肩を震わせる。

「の、ノヤ?」
「……バカだな、アンタ」
「(! や、やっぱり、引かれた……)」
「ほんとバカだよ、俺もバカ。俺らバカ」
「え?」

俺なんてしたくもない応援しちまったじゃねえか、そう言ってノヤはぎゃははと笑った。どういう意味だろうとしばらく考えそれからあれ、と首をひねる。

あの、ノヤさんもしも俺の勘違いでないようでしたらとたずねれば、ノヤは笑って俺の制服の襟をつかみ、それからそっと、引き寄せた。





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主に友人向け。今週も仕事がんば〜
(2013.0429)