岩泉→及川
カプ未満の片思いです






ぐず、ぐず、ずずう。

宮沢賢治もびっくりするほど汚い擬音だ。かたわらでみっともなく泣き続ける及川を見ながら、岩泉はそう思う。けれど同時に、女と別れたくらいでよくこれだけの時間泣いてられるなと感心してもいた。

「これだけの時間」というのはつまり、岩泉が今週のジャンプを読んでおやつを食べ、それから鉄拳で五、六戦ほどNPCと戦えるくらいの時間である。だから実際及川の泣き言なんてほとんど聞いていなかったが、それでも傷心の男はだらだらと話しつづけていた。及川の占領する背後のベッドをふと振り返ったときには、一箱分のティッシュがシーツの上に散乱していて驚いたものである。

しかたがないから一度ゲームを止めて二箱目を居間から持ってきても、その涙は止まらなかった。

「ぐす……ねえ岩ちゃん、聞いてるの?」
「あ? あー、聞いてるよ聞いてる、超聞いてる」
「(絶対聞いてない……)それでね、俺はね、言ったの、ちょっと遊びに行っただけで、全然浮気とかじゃないよって、でもね――」

うん、うん、そうだな。てきとうな相づちを打ちながら床のうえに座り、岩泉はベッドに背をもたれてリスタートのボタンを押す。鉄拳は単純な「コンボゲー」じゃないからやりがいがあって好きだ。弟ともよく遊んでいる。ちなみに及川の腕前は岩泉いわく、「クソ弱い」

そうしてクソ弱い及川のクソみたいな話はつづく。

「……それでね、俺はさ、悪気とか全然ないじゃん、だからさ、」
「うん、」

いいながら両手をつかってキーを入力していくけれど、今日は普段使わないキャラを練習に選んでみたのもあって、なかなか上手くは決まらない。及川の話はもう同じところを二、三周ループしているような気もしたが、正確に今が何週目なのかはよくわからなかった。

「……でもさ、それくらいのことだよ? フツーそれくらいで怒んないじゃん? 岩ちゃんならそうでしょ、」
「あー、そうかもな」

投げ技を入れようと思ったのに、コンマの差で向こうの技が入ってくる。ああ、対戦の練習相手にいつも使っているキャラを選んだのも失敗だった。敵に回ってもなんてかっこいいんだろうと、いっそ惚れ惚れしてしまう。

「……はー、やっぱり岩ちゃんはやさしいよねえ、俺のことわかってくれるしさあ、」
「うん」

相手の強いので諦め半分、もうダメかなと思いながらやっていたが、応戦していたらなんとか半分ほどの体力ゲージを削ることができた。こっちもうヒットポイントやばいけどこれとこれ喰らわせたらいけるかな? 岩泉がそう思ったとき不意に、及川はぽつりとつぶやいた。

「あーあ、もう、こんなことなら岩ちゃんのこと好きになってればよかった」

岩泉はピタリと手を止める。目の前ではかわいそうに操作キャラが殴られつづけているが、コマンドを入れることすらできなかった。

「岩ちゃん?」

返事のないのをいぶかった及川に呼ばれてはっと、岩泉は顔を上げた。瞬間目の前の試合はストレートで負けて、ああ、とコントローラを放る。息を吐いて前のめりになった身体をベッドにあずけると、及川がそわそわと聞いてきた。

「ね、ねえごめん、あれ、俺のせい?」
「あ? バカかおまえ、おまえが喋ってるのなんか邪魔になるかっつの、……ちょっと、調子が悪かっただけだよ」

なんだ、そうだよねえ俺が悪いわけないよねえ、途端にふてぶてしく居直る及川をふりむかず手の甲で殴る。

「ちょっと岩ちゃん鼻、鼻はやめてよていうかせめてこっち見て殴ろ? 最近ちょっと俺に対するツッコミ岩ちゃん雑だよ? もっと頑張ろ??」

及川はわめいていたがどうでもよかった。ああ鼻に当たったんだなくらいに思った。ちょっとくらい鼻でも低くなった方がもてなくなっていいや、とも思った。

流れつづけるメニュー画面の音に、岩泉は身を起こす。

「なあ、及川」
「うん?」
「鉄拳やる?」
「……岩ちゃん強いし、俺いっつもボコボコにされるからやだ」
「手加減するって」
「……ほんと?」
「ホントホント」
「ほんとにほんと?」
「ばっかだな、俺がおまえに嘘ついたことあっかよ」
「いっつもじゃん」
「……まあ、そういう考え方もある。でも今日はホントだってば、な?」
「ん……じゃあ、やる」

そう言ってようやく、及川はベッドから身を起こした。さんざ泣いた目は見事なほど真っ赤に腫れていて、みているこっちが痛々しいくらいだ。弟のコントローラを渡しながら、「おまえ後であれ片づけろよ、」ベッドの上にひろがる広大なティッシュの海を指でさせば、及川はあいまいに笑っていた。ちょっとめんどくさいな〜と思っている顔だった。帰るまでに絶対に掃除させよう、そう決めて岩泉は自分の持ちキャラをえらぶ。

となりに座って「今日は買っちゃうもんね〜」と意気込む及川はもういつもの及川で、岩泉は小さく苦笑した。

“岩ちゃんのこと好きになればよかった“

別れると、及川は決まってその言葉を口にした。岩泉はそのたび「アホ」とか「きもい」とか返したけれど、本当はいつだって「そうだな」とうなずいてしまいたかった。

ぐずぐずとループする話を毎回聞いてやるのはなにも、及川が幼馴染だからという理由だけではない。及川の言葉が現実になればいいのにと願ったことも、一度や二度ではなかった。

けれど岩泉は口にしない。おそらく及川に自分の気持ちを吐露することは、これから先もないだろう。及川が泣きながら言うその台詞がこころからの言葉でないことは岩泉がだれよりも、かなしいくらいに知っている。

及川はゲイではない。岩泉だってそうではないけれど、でも及川のほかには考えられなかった。中学に上がって自慰を覚えたときだって初めてオカズにしたのは及川だ。けれどどんな顔をしてそんなことを言えるだろう? もし言っても及川はきっと岩泉を遠ざけたりはしないと思うけれど、それでもふたりのあいだにはそれまでになかった隔たりができるにちがいない。すくなくとも及川は、今みたいにすべてを岩泉に打ち明けることはできなくなるだろう。それを思うと岩泉には、とてもできなかった。

なにかがあったとき及川が最初に泣きついてくるのはいつだって自分だ。たとえそれがどこの誰と別れたなんて話でも、岩泉にはそれでよかった。それを聞いた自分がどれだけかなしくとも、及川のまっさきに頼れる相手が自分なら、自分の前でだけは安心して及川が泣けるなら、それでいい。

岩泉は、だから泣かない。




(2013.0407)