部活のあと先に着替えの終わって、及川を部室の外で待っているとちょうど帰りぎわの女子バレー部とかち合った。制服に着替えた数人の中には同じクラスの女子の姿もあり、

「岩泉くんだ、おつかれ〜」

と声をかけられる。一緒にいた後輩の子ともかるく面識はあったので、その場ですこしだけ話をした。話題は共同で使う体育館のことや顧問のことが主だったが、ときおり彼女たちはちらちらと部室のほうを気にしているからその目的は明らかで内心苦笑する。小学校のころから及川とワンセット扱いされるのは慣れていたから、もうどうとも思わなかった。(……というのはまあ若干盛った。女子のまえですごいかっこわるいくしゃみしろとか、そういうことくらいはたまーに考える)

そうして話を続けているとやがて背後のドアが開いて、待ちかねた真打があらわれる。女子たちの顔はとたんにパッと輝いて、

「及川さん、お疲れ様です!」

俺と話していたときより声がワントーン上がるのがなんとも泣ける。走り込みに崩れた髪をきちっと直した及川は甘い笑顔を浮かべて二、三それに答えると、しかしふいに俺の手をとった。
「ごめんね、岩ちゃんあんまり待たせると、俺あとで怒られちゃうからさ」

そう言ってわざとらしく人の手をつかんだまま春風のように去るクソイケメンに軽くしにそうになった。あえて言っておくがイケメンにときめいたわけでは決してない。このあと女子たちのあいだで邪魔者あつかいされるかわいそうな岩泉くんを思うと胸が張り裂けそうになるのである。

とりあえず下駄箱についたあたりで及川の頭を上履きで殴っておいた。

「ちょ、なに岩ちゃんひどいよドメスティック!」
「それを言うならバイオレンスだろ。それだけだと『家庭的な』になんぞ」
「えっやだどうしたの岩ちゃんが知的」
「ふざけろ。……今日授業でやった」
「あー、」

そっち教科書すすんでるんだね、言いながら及川はほんの一瞬顔をくもらせる。つられて俺も、すこしだけ押し黙った。

及川の下駄箱と俺の下駄箱は、この春高三に上がって一クラス分だけ離れてしまった。小学校から今までたまたま俺たちのクラスが分かれたことはほとんどなかったから、及川と同じ列の下駄箱でないのは、すこしだけへんな感じだ。

けれど外靴に履き替えるころには、及川はもういつもの及川だった。今月のメンノンがさあとか話しかけてくるが俺は雑誌はジャンプしか読まないのでよく知らない。知らない話題でも気にせずつづけるのが及川だ。どうでもいい話にてきとうな相づちを打つのも、俺がなにも聞いていないとわかりながら話し続ける及川の声をきくのも、まあ嫌いではなかった。

そうしてくだらない話をしながら正門を出るころ、
「岩ちゃん、今日……」
と及川がいうので俺はうなずいて学校を出た。徹の家に泊まるからと親にメールを打って、及川の家にいく。中学三年で付き合い始めたころから、翌日に部活のない日はたいていそうしていた。徹お坊ちゃんの部屋は離れだから、俺が泊まってすることをしても及川の家族が気に留めることは一向ない。

途中のコンビニでペットボトルとてきとうなお菓子だけ買って帰る。歯ブラシだの着替えだのは勝手に及川の部屋に置いてあるし、ゴムもまあ前に使ったのがまだ残っているだろう。そんなことを考えていたのはおくびにも出さず庭先のお手伝いさんにあいさつして、及川の家に上がる。

渡り廊下をとおって及川の部屋に行くと、お風呂入ってくるからと及川は言った。たしかに今日はよく走ったのでふたりとも汗をかいている。てきとうにしててと言うのにおおとうなずけば、及川はひとり部屋を出て行った。その背中を見送って、俺ははあと小さくため息をつく。

及川がなにかを言うんじゃないかと、そう思っていた。なにかというのはさっき俺と話していた女子たちのことだ。付き合い始めたころの及川は「あの子だれなの」「なに話してたの」と俺を問い詰めることもしょっちゅうだったし、あるときなど激情に任せて俺を抱いたこともあった。自分がちやほやされるのはいいくせに、俺がすこしでも女子と喋るとすぐにむっとする、面倒くさいやつなのだ。……やつだった。今はちがう。

及川は最近、ちっとも嫉妬をしない。以前なら女子と喋っているのを目にしただけでも割り込んで邪魔してきた――おかげで俺は女と付き合ったことがない――くせに、このごろはそのことに触れることすらない。数日前だって俺がクラスの女子といるのを、部活に迎えにきた及川は声をかけることもなく見つめていた。ほんのすこし前まではあんなにうるさかったくせに、急に静かになるものだからいやでも気になってしまう。

及川はもしかして、俺に飽きたのだろうか。やっぱり胸もなくて身体も硬くて声も低い俺より、ふつうの女のほうが、……あるいは、今のクラスで好きな相手ができたとか?

そんなことを考えながら押入れを開けてその中の本棚をぼんやり物色していると奥のエロ本を見つけてしまい、ますますなんとも言えない気持ちになる。あいかわらず巨乳人妻好きの変態め。やっぱり乳がいいのか。いや俺だってやるならそりゃ女がいいに決まっているけれど、でも、とかそんなことを考えている女々しい自分にまったくうんざりする。「女々しい」なんて漢字のくせに決して女にはなれないのにもげんなりする。だいたいこんなことを考えさせる及川にも腹が立った。

やっぱり帰ってきたらとりあえず一発殴っておこう、そう思って押入れを閉めると同時にスパン、入り口のふすまが開く。ほんのり髪を湿らせた及川が立っていた。殴ろう、と思った瞬間帰ってこられたのですこしどぎまぎすると、後ろ手に扉を閉めた及川は、しよっか、といった。でも俺風呂、といいかけたが、及川の目はとても待ってくれるようなそれではなかった。俺はあきらめて、ネクタイに手をかけた。


及川はその日、いつになく熱っぽい目をして俺を抱いた。最初は風呂上りで体温の上がっているせいかとも思ったが、どうもそういうわけでもない。及川はまるでもう我慢できないとでも言いたげな顔をして俺のひらべったい胸を撫ぜ、性器に触れ、尻を揉んだ。

肌をつたう指先よりもその視線に耐えきれなくなってはやくしろよと俺が焦れると、及川は唇を噛んで下着をおろした。ひたりと押し当てられる熱に、おもわずうめいた瞬間突き入れられる。顎が持ち上がって、足が勝手に布団に突っ張った。奥まで穿つと及川は俺の上に倒れこんでくるので、よけいに深くなってめまいがする。着替えたとき制汗を噴いただけの俺の身体は臭かったかもしれないが、俺の上でせっぱつまった顏をする及川の頬だっておなじくらいに汗が伝っていたから、もうどうでもよかった。

呼吸がすこしだけましになると、岩ちゃん、ごめんといって及川は腰を動かしはじめる。揺さぶられるたび目の前がチカチカして、しにそうになった。及川はあいかわらず熱を持った目で俺を見下ろしている。

この目は、セックスの興奮のせいだろうか。そうじゃない気もする。やっぱり及川は俺に飽きたわけではないんだろうか? よくわからない。ただまえを握られてひどくきもちがいい。あ、あ、と漏れる自分のうめきはやっぱり男のもので嫌になる。及川はガツガツと腰を打ちつけた。顔の横についた片手は震えている。顔にぽたりとたれるのに思わず見上げて、俺はおどろいた。

及川は泣いていた。汗が混じるので今まで気付かなかったが、いつのまにか目じりには大粒の涙が溜まっている。目と目が合って、及川は動きを止める。

「及川、なんで、」
「……岩ちゃん、」

及川はつづきを、言うかどうかすこし迷ったようだった。それでも手の甲でごし、と顔をぬぐって俺を見下ろし、それから口をひらく。

「ねえ岩ちゃん、他の女の子としても、いいよ」

しばらく意味がわからなかった。だってふつう、人のケツに突っ込みながら言う台詞じゃないと思う。突っ込みながらじゃなくても、なかなか付き合ってる相手から聞かない言葉だとも思う。なんとか及川の言ったことを頭で片づけながら、どういうことだと聞けば、

「だって俺は岩ちゃんにいつもいれて、すごい気持ちいいけど、でもこのままだと岩ちゃんずっと童貞じゃん。」

それは気の毒かなって。さもすまなそうな顔をして及川がいうので、俺は思わず口をぽかんと開けた。

「え。なに、それ、えっと、……あ、お前がやられるって発想はないわけ?」
「ムリ俺ホモじゃないし掘られるとかほんと勘弁」
「……うん、おまえそこは偽ろう? 自分に正直なのはいいけどそこはもうちょっとオブラートに包もう? だいたいそれでいくとおまえに現在進行形で掘られてる俺の立場はどうなるわけ」
「岩ちゃんはちゃんとうしろで善くなれるように俺がしてあげたじゃ「しね」
「言いおわってないよ!?「しね。それからしね」

ひどい、と顔を歪めて、それから及川はぽすりと俺の胸に倒れこんだ。

「俺これ言うの、すごい迷ったのに」
「なんで」
「だってやだもん。喋ってるだけでもむかつくのに、岩ちゃんが女と寝るなんて……でも一緒にいるとこ見ると、岩ちゃんもホントは女の子相手がいいのかなって」

それにさすがに、岩ちゃんも一生童貞はいやかなって。ぽつりと及川がいうので、俺はたまらなく恥ずかしくなった。童貞でいることがじゃない、そんなことはちっとも気にならない、じっさいやるなら女がいいとか思っていたが、もうそれすらもうどうでもいい、――及川は『一生』といったのだ。あまりにあっさりそう言った。一生一緒にいるのが、まるで空が青いのとおなじくらい当たり前みたいにそう言った。

(おまえなんで、そんな……ああ、もう……)

及川が嫉妬をしないとか飽きたんじゃないかとか、そんなことで悩んでいた自分がばかみたいだ。この面倒くさい男がそんなにかんたんに、自分を手放すわけがなかった。どころかもっと面倒なことで、こいつはいままでひとり悩んでいたのだ。

「……ばかなやつ、」

いいながらすぐそばのひたいにキスすると、及川はとじていた目をそっとあけた。

「岩ちゃん、いいの?」
「なにが。……いいに決まってる。俺はおまえでいいんだから」
「おまえ、『で』?」
「クソ川調子乗んな」
「……『で』?」
「っ……おまえ、が」
「! っ岩ちゃん、大好き!」

言うなり及川は俺の身体をきつく抱きしめた。つながったままのそれが中で動いて、おもわず鼻声みたいな声がでる。かわいいねと言って及川は俺を抱いた。寸前まで高められたところで止められていた熱はすぐに盛り上がって、気づいたときには俺は及川の下腹に射精していた。それを見てひどくうれしそうに及川もいった。

それから鎖骨に口づけて、もっかい、とまださめない熱を押し付けてくるので、俺が一生童貞だったらおまえ責任とれよなというと、及川はそうだねとかんたんにうなずいていた。その言葉にはただ、ひとかけの疑問さえもなかった。






(2013.0330)