気に入りの苺オレを買ってコンビニを出ると、駐車場には月島ひとりだった。他の部員はまだ買い物の途中らしい。ため息をついて、苺オレのパックをあけた。 部活の帰りは、学校近くのコンビニに部員のみんなで寄り道するのがたいていだった。練習終わりに好きなマンガだのお菓子だのを買って、駐車場でくだらないことをすこしだべってそれから帰るのだ。仲のいいことだと思う。月島はべつに参加したいわけでもなかったが、勝手に帰るとあとで怒るめんどうなやからがいるので、しかたなくそこにいることにしている。 自動ドアのあく音がして振りむくと、澤村がニコニコ立っていて月島は眉をひそめる。めんどうなやからというのは、部活を取り仕切るこの男に他ならなかった。いやな相手が二番目に出てきてしまったな、と思っていると澤村はビニール袋からなにか取り出して、 「はい、あげる」 と差し出すので、反射的に受け取ってから月島は短い悲鳴を上げる。熱い。わたされた紙袋を手のひらであわあわ跳ねさせながら、目の前の男をにらむ。澤村はあははと笑った。 「おまえ、ホントいい顏するよね」 「〜〜っふ、ふざけ、…!」 言い終わるまえにくしゃ、と頭を撫でられ止まる。すっと顔を寄せた男は、特別だから、ナイショな、とささやいた。 「?」 なにが、と聞く前にはもう身を離して、澤村はあとから出てきた田中を振り返っている。なんだったのだろう。手の中でようやくなじんだ紙袋、肉まんのことだろうか? そう思ったが澤村は田中にも、それからそのつぎの日向たちにもやはり同じようにふるまっている。え! いいんですか? と飛び上がる小さな身体が、癪だった。 (……なんだよ。特別とか、ウソじゃん) そう思いながらひとくちかじって、はたと止まる。あまい。前にも肉まんを奢ってもらったことがあったからそうだとばかり思っていたが、これはあんまんだ。 あ、とようやく気づく。そうだ、このまえ肉まんを買ってもらったとき月島は、あんまんの方が好きだと言ったのだ。嬉しいのをすなおに感謝するのは悔しいから言ったひとことだったが、澤村は律儀に覚えていたらしい。思わず顔が熱くなる。 「あれ? ツッキーどうかしたの?」 買い物を終えて出てきた山口がのぞきこんできて、月島はあわてて手元を隠した。 「べつに、なんでもない」 「そう? なんか赤い? 気がしたから、何かあったんかなって」 「空のせいじゃない」 「あ、そっかー」 そうだね今日キレーだねえ、夕陽を眺める山口のむこう、振り返った澤村とバチリ目が合って、月島はふいと視線をそらした。 「特別」なんていたずらに口にするのは、ずるいと思う。本当はそうじゃないことを月島は知っているからだ。澤村にとって月島はしょせん、「かわいい後輩」のうちのひとりでしかない。日向や田中と、なんら変わらないのだ。善人の主将は「後輩」だから月島にもこうやってやさしくする。月島だから、という理由じゃない。だから、やっぱり特別なんて嘘だと月島はおもうのだ。 (それに、――本当にそうなら、あんなことだって言わないし) 「初めまして」と、入部届を受け取った澤村が言った瞬間、月島は澤村を嫌いになった。ひと目見て勝手な偏見を抱いたとか、そういう理不尽な理由ではない。澤村にとってはそのときが初めましてでも、月島にはそうではなかったのだ。月島にとっての澤村との出会いはそれより数か月ほどまえ、高校入試の日のことだった。 それは、国語の時間に消しゴムを落として、困り切っていたときだ。あのとき監督の教師はずさんで、プリントを配り終えるとあとは教壇に座って手元の作業かなにかに没頭していたから、月島が手を挙げてもまったく気づく気配がなかったのだ。そのときちょうど、廊下のむこうの男と目が合った。そうして教室のドアをあけ、監督にことわって、月島の消しゴムを拾ったのが澤村だった。(あとから聞いたら、どうやらとなりの教室の監督補助をしていて、たまたまとおりすがったのだそうだ)記述問題の多い国語で、解答欄はまだ半分も埋まっていなかったから正直助かった。 試験が終わって教室を出たあと礼をいうと澤村は、背ぇ高いなー、何センチ? とか、そんな話をして、それからニコと笑い、 「入学待ってるよ、がんばれ」 そういって月島の頭をぽんと撫ぜた。大きな手のひらがすこし背伸びをして、自分の髪にふれた感触はそれからしばらく月島にたしかにのこったというのに、それなのに、澤村にとってはそうではなかったということだ。月島はだから澤村のことが、今だって大嫌いだった。 日の暮れるころ駐車場で解散して、それぞれが二、三人に分かれて家の方角に歩き出す。月島は山口と、それから澤村と同じ方面だった。ポケットに両手をつっこんで、部活の話をする二人と並んであるく。夕闇がすっかり紺色に染まると、四月の夜はまだすこし寒かった。山口と澤村は日向の話題でもりあがっている。三人の間はまだいいが、山口は途中の分岐で別れて、それからは澤村と二人きりになってしまうからいつも憂鬱だ。月島は、山口がもっと近くに住んでいたらよかったのにと思った。 けれどそんな思いもむなしく、「肉まんあざっした!」と笑顔をのこして山口はひとり去る。遠ざかる背中に小さく手を振ってから、澤村の方を見るのが気まずかった。二人きりになると、田に鳴く虫の声さえきこえるほどにしずかだ。いつだってこんな調子で、たいてい澤村がてきとうな話を振っては月島がひとことふたこと返して終わる。…はずだった。山口を見送っていつものように口を開いた澤村が、今日はちがったのだ。 「なあ、月島さ、手つなごう」 「へっ!?」 あまりにとつぜんで、気が付いたときにはもう右手をつかまれていた。 「やだちょっ、きも、きもいんだけど、」 「わ、おまえ指ながー」 言いながらぺたぺたつかみなおしてくるので気が気ではない。離せと暴れたが澤村の手は力強くかたくなで、結局かなわなかった。どうせこんなとこ人も通んないしいいじゃんというけれど、そういうことではない。 「つか、なんで」 「うん?」 「急に手とか、きもいし…なに」 「ああ。だって、月島寒そうだったから」 「え、」 あんまりさらっというのでしばらく理解できなかった。(……なんでそんなの、気づいてんだよ)つかまれた右手が、今はちがう意味で熱い。もういい、もう平気だからと言ったのに澤村はけらけら笑うだけで、その手が離れる気配はいっこうになかった。しかたがないから延々澤村への呪詛の言葉をつぶやきながらあるく。澤村は楽しそうだった。 あらためて触れてみると、あたたかい手のひらだった。澤村は月島の指を長いといったけれど澤村だってじゅうぶんに長くてがっしりとしていて、すっかり大人の手という感じがする。この手が自分の頭を撫でたんだな、とおもった。 つないで歩いていると、時折り澤村が身じろいで手を結びなおす。それを何度かくりかえすので、ああと気がついた。ようやく唇が持ち上がる。 「センパイ大丈夫ですか? ボクちょっと背が高いんで」 センパイ、にわざわざアクセントをつけてやると澤村は月島を見上げてくしゃりとにらんだ。 「おっまえホント生意気だよな。俺はいいけどさ、あんまスガとかに言ってやるなよ、あいつ怒らすと怖いし」 「べつに、あの人は無理やり手とかつないでこないし」 「俺だって合意の上だろ」 「……」 いたいけな一年生の抵抗を力で押し込めることを合意と言うのは知らなかったな、と思っていれば澤村がぽつりとつぶやいた。 「月島もなー、最初は素直でふつうにかわいかったのに」 「っ、」 なにげない言葉にカッとした。澤村のいう最初は自分のそれとはちがうのだと思うと、無性に苛々する。 「……最初なんて、覚えてないくせに」 「え?」 思わず口にだして、それからはっと顔をそむける。なんでもないですと言い切った言葉には妙に力が入ってしまって恥ずかしい。つながれたままの手が気まずかった。今日はいつもより話した帰路にはまた虫の声が響いて、ますますいたたまれない。 そうして沈黙のまま家の近くまで着くと、澤村はようやく手を離して、それからいった。 「なあ、入試のときだよな?」 「!」 思いがけない言葉にふりむけば、あ、やっぱりと澤村は笑う。 「忘れるわけないだろ、教室でおまえ、泣きそうな顔して手ぇあげてたんだもん」 「っな、泣きそうな顏なんか、」 「はは、…でも、嬉しかったな、入部届もってきたときは」 あのときは山口もいたからなにもいわなかったけど、ほんとは嬉しかったよと澤村は言った。なんだそうだったのかと思った。力の抜けた月島の頭を澤村がぽんと撫でる。あの日とおなじ笑顔だった。 手を振って別れた澤村が自分の家と実はだいぶ離れたところに住んでいるのは、それからしばらくして知った。特別といったのは、あながち嘘でもなかったのかもしれなかった。 (2013.0302) |