四限終了のチャイムに月島は席を立った。前の席の山口が振り返って慌てた顔で、さっきの日本史のノート見してもらってもいい? と聞いてくる。途中の十分程度机につっぷしていたのは知っていたからはいと差し出してやった。

「わっ、ありがと〜、ツッキーのノート見やすいから好き」
「……はしょってるときもあるし、あんまりあてにしないでよね」

うんうん、と山口はかるい調子でうなずいてみせたが、実際山口にノートを貸すことはめずらしかった。今日みたいにときどき寝てしまうことはあるが、基本的に山口はそれなり真面目な性質だ。だから月島も呆れることもなく付き合っていた。

「じゃ、終わったら机に置いておいてもらえればいいから」
「あ、うん…」

それじゃあと背を向けて、月島は教室を出る。うしろのドアをくぐったあと、月島くんってさあ、とささやく小声と、それをかき消すような山口の怒った声が聞こえていた。


自分が、昼休みは保険教諭だの音楽教師だのと過ごしているとか、根も葉もない噂をされているのは知っていたが、月島はべつにどうだってよかった。中学のころも同じようなことがあったから、火のない噂が勝手に消えてゆくのはよく知っている。今は山口が火消しまでしてくれているから、なおさらだろう。

「……」

山口が、本当は自分と昼食を食べたがっているのは知っていた。入学した日に同じクラスで席がとなりになってからというもの、決して愛想がいいとはいえない月島をツッキーと呼んで慕っている山口だ。それこそ最初のうちは一緒に食べようよとストレートに誘われたこともあったが、何度か首を振っているうちなにも言わなくなった。山口は意外と空気を読む。結局そのうち、クラスの友人のだれかと食べるようになったようだった。山口にわるいと思わないこともなかったが、月島は人と食事をするのはあまり好きではないから、きっとその方が互いにいいだろうなと思う。


「…あれ、」

職員室前の自販機で売られている桃カルピスが、今日は売切だった。そんなに人気があるようにも思えないが、めずらしいこともあるものだ。しばらく悩んで、結局てきとうなお茶にする。ガコンと出てきたペットボトルを持って、月島は階段をのぼった。

昼休みはここで桃カルピスを買って、それから美術準備室にいくのが常だった。この学校の美術室には、なぜか二つ準備室が併設されている。そのうち片方は美術の先生が待機する部屋だったが、美術室をはさんでもう片方は、使われなくなった道具やら卒業生の作品やらがしまいこまれた、実質ただの倉庫だった。昔の改築のときに新しい方が作られたらしいという話はどこかできいたが、あまり興味はない。

はじめは少々ほこりくさかった倉庫の塵をてきとうに払って、今では月島が勝手に使っている。狭いけれど、人も来ないし陽当たりもいいし、しずかに昼食をとるにはちょうどいい場所だった。

窓辺に置かれた古い木椅子に座って、膝の上に弁当をひろげる。料理は好きだからたいていは自分の手作りだ。そうしてそれを見られるのが嫌だからというのも、教室で食べない理由のひとつだった。中学のころ一部の男子に知られてからは、それをネタにケイちゃんケイちゃんとしばらくからかわれてたいそう面倒くさい思いをした。それを思えば今はまったく気楽なものだ。そう思いながら箸をとりだしたとき、不意にガッ、と固い音がする。え? と顔を上げて古びた部屋のドアを振り向いた瞬間、一度はつっかかったドアが今度はひらいてその向こうの男と目線が合う。月島は目を見開いた。

「え…なんで、」
「うわっ、この部屋こんなことになってたんだな、へえー」

月島のとまどいも気にせず男、澤村はきょろきょろと室内を見回している。なんでここに来たのかは知らないが、面倒な相手が来たな、と月島は思った。部活内でも部長の澤村は、一番苦手な相手だった。
ひととおり物色が済んだらしい澤村はようやく月島のことを思い出したのか、おう、と声をかけてくる。

「なにおまえ昼メシ? いつもここで食べてんの? 山口は?」
「(……質問多いんだよ)アンタらとちがって、いっつもべったりってわけじゃないんで」
「アンタら? ……あ、もしかしてスガのこと? はは、俺たちだっていつも一緒じゃないさ」

皮肉で言ったのにあっさり返されて毒気が抜ける。まったくやりにくい相手だ。だから苦手だ。

「つか、そっちこそこんなとこでなにしてんすか。教室、こっから遠いでしょ」
「ん、俺? 俺はさっきまで選択美術だったからさ」
「ふうん(この人、絵なんて描けんのかな…音楽とかの方がまだましそう)」
「あ、今、こいつ絵なんか描けんのかよって思っただろ?」
「! べつに…」

そう言ったが、本当はズバリ言い当てられてすこしどきっとした。こうやって笑顔で核心をついてくるから、この男はいやだった。しかし澤村はニカと笑う。

「まあ、たいがい同じような顏されるしな。実際上手いわけでもないし」

本当は音楽でもよかったんだけど、美術の方が先生が好みだったんだよ。なんてあっけらかんと言うので力が抜けた。(なんだ、読まれたわけでもなかったんだ)不純、とつぶやけば澤村は腹が立つほど爽やかな顔で笑う。

「ハハ、しょうがないだろ、俺だって健全な男子高校生だしさ」

言いながら澤村は、キャンバスの前に置き去りにされていた丸椅子によいしょと腰かけた。そうして手にしたビニル袋から菓子パンを取り出したあたりでようやく月島はあわててたずねる。

「え、ちょ、なにここで食べるつもりなわけ?」
「うあ? あーー」

返事をしながら、澤村はもうジャムパンにかじりついていた。ちょっと待ってよと頭が痛くなる。

「……ねえここ、僕が先に来たんですけど」
「ん? ああ、そふらな」
「うわっ、もう、食べながらしゃべるのやめてよねサイテー。…つか、食べるならよそで食べてほしいんですけど?」

ありったけの敬遠を視線に込めてやったつもりなのに、澤村はものともしなかった。どころか、たまにはこうやってチームメイトと食べるのもいいだろなんてのほほんとしたことを言い出す始末である。

面倒だが、こうなったらもう自分が移動したほうが早そうだ。そう思って立ち上がった月島の腕をしかし澤村がガシとつかむ。上級生だけあって力強い掌だった。思わず足を止めれば、行くなよ、と澤村は言った。

「月島行っちゃったら、俺がつまんないじゃん」
「……仲良しのチームメイトのみなさんでも呼べばいいでしょ」
「ダメ。俺月島がいいんだよ」
「(…! この人はまったく、なんだってこう…)アンタがそうでも、僕はそうじゃない」

言い切ると澤村はようやく、うーんと考えるそぶりをみせた。さすがに諦めてくれるかと思った瞬間、にへ、としまりのない笑顔が見上げてくる。

「うんわかった、月島は嫌でも、俺は一緒に食べたいから、そうしよう!」
「!? っ意味わかんないし!」
「まあまあ、…あ、ほらこれもやるからさ、」

お前好きだろ? 聞かれて言葉に詰まる。なんで知ってるんだよとつっこみたいが、目の前には今日買い逃したばかりの桃カルピスである。俺が買ったとき最後の一本だったっぽいんだよねーなどとのんきに言う澤村がにくたらしい。(アンタのせいだったのかよ…)

しばらく悩んで、月島はしぶしぶもとの椅子に腰をおろした。不愉快だが、一日くらいなら我慢できないこともない。昼休み始まってもう結構経ってしまっているし、どこかに移って急いで食べるよりはまだここで我慢するほうがいくらかましだった。

にこにことパンを食べる澤村の向かい、なるべく見えないように弁当箱を傾けてようやく箸をのばす。朝練があるから早い時間に朝食をつっこんだだけの腹はもうぺこぺこだった。手製のたまご焼きがおいしい。砂糖とすこしだけ牛乳を入れるのが月島は好きだ。無言のまま食べているとおもむろに澤村がのぞきこんでくる。

「月島っていつも弁当なの? もしかして手作り?」
「……母が作ってくれるんで」

まったくいちいち触れられたくない部分ばかりつっこんでくる澤村だ。答えてもまだじっと見てくるので文句を言おうとすると、あざやかな手つきでたまご焼きをひと切れ奪われた。

「ちょ、まっ、なに、」
「あ、うま。なにこのふわふわ、お母さんすげー料理上手な」
「!」

ひとさし指と親指を舐めながら、あゴメン、あんまりうまそうだったから、などとあっさりあやまってくる澤村にめまいがする。こんなことなら手作りだとすなおにいえばよかったと月島は後悔した。そうしたら真正面からほめられてこんなに恥ずかしい思いをすることもなかったのに。動揺を気取られるのが嫌でそそくさと弁当をかきこんだらそっこうでむせた。大丈夫かと背中さすってくる大きな手がにくらしい。なんとか落ち着いて飲んだ桃カルピスは、腹が立つほどうまかった。

騒がしい食事を終えてようやく一息つくと、澤村が両手を払って立ち上がる。ああやっと解放されるのだとほっとしたのもつかのま、澤村は窓辺の床をパッとはらって座り込んだ。

「ちょっと寝るから、てきとうに起こして」
「はあ!? え、ちょっと、」
「おやすみ」

そうして言ったきり壁に背をあずけて、澤村は目をつむってしまう。月島は絶望した。この暴君を置いて帰れるものならそうしたかったが、本当にそうするには、月島はすこし真面目すぎた。あっさりと眠ってしまった澤村の前、せいぜい月島に残された抵抗といえば、牛になりますよ、とぼそりつぶやくことくらいのものだった。

ところで、「ちょっと」というのはどれくらいの「ちょっと」だろうか。古教室に残された時計はやけに秒針がカチカチうるさくて落ち着かない。昼休みはあと十分ほど、予鈴まではあと五分程度だ。三年の棟はすこし遠いし、もし次移動教室ならそろそろ起こした方がいいのだろうか。わざわざそんなことを考えている律儀な自分が嫌になるけれど、この暴君が朝いつも早い時間にきていろいろ部活の準備をしているのは知っているから、そんなにバッサリと起こす気にもなれなかった。

どうしたものか、ぐるぐる悩んでいると不意に携帯が鳴ってびくりとする。見れば澤村の学ランのポケットでそれは震えていた。デフォルトにでも入っていそうなオルゴール調の音楽はしばらく待っても鳴り止まないのでどうやら電話のようだ。早く止まれよ、それか起きろよと思ったが結局どちらも叶わず、音楽は二ループ目に入ったのでしかたなくポケットに手を伸ばして開けてみる。そこには見慣れた名前があった。

「……もしもし、」
『もー遅いって大……あれ、月島?』
「部長、ちょっと寝ちゃってるんで」
『あ〜〜、やっぱり』

そんなじゃないかと思った、と菅原は言った。いつもこの時間寝てるもんねと付け足された言葉が、なんとなし癪に障る。

「僕もう教室帰りたいし、困ってるんですけど、迎えに来られます?」
『あ、うん。今どこ?』
「えっと、」

説明しようとして口ごもった。

『月島?』
「……やっぱり僕が起こします。本鈴鳴る前にかえすんで、それじゃ」

電話の向こうで慌てた気配があったがぷつりと通話を切った。画面には「スガ」「一分二秒」と表示されている。部活の連絡用にだけ交換した自分の登録名は、見るまでもなく月島だろうなと思った。携帯をとじて、澤村を起こす。

十分程度だったがしっかり眠っていたらしい澤村はふわあとあくびしながら起き上がり、ありがとな、と笑った。

「べつに、…起こせって、言われたから」
「いや、昼メシ、一緒に食べられてうれしかったから。また食べような」
「っ僕は、嬉しくない…」
「はは、お前すなおじゃないよね」

かわいいよと言って、澤村は出て行った。唇を噛み締め、すこし間を置いて月島も廊下をもどる。菅原を呼ばなかったのは、ただ、自分が起こせと言われたからだ。他に思うところがあったわけではべつにない。たぶん、きっと、絶対にそうなのだ。

  ***

昔から、特別の場所を探すのは得意な方だった。特別というのは、月島しか知らない居心地のいい場所のことだ。小さい頃などは家に客人がくるとすこしだけお愛想をして、すぐに裏庭だとか押入れの中だとか、自分だけのお気に入りに逃げ込んでいた。

そうして高校に上がった今もそれは変わらない。小学校中学校を経て、あのころと比べれば大勢の中にいるのにも慣れたけれど、やはりひとりで過ごすときの方が月島は落ち着いた。裏庭と押入れが、屋上の給水塔の上や、使われなくなった部室に変わっただけである。そういうところを見つけては昼寝をしたり、ひとりで音楽を聞いたりするのが月島は好きだった。

……はずである。美術準備室、となりに座る男をじろりにらむ。目が合ったって澤村はニコニコ笑って首をかしげるだけとわかっていたが、そうせずにはいられなかった。

「な、ハンバーグいっこもらっていい?」
「……勝手にすれば。どうせいつも勝手に食べてるでしょ」
「あ、そういやそうだな、ハハ」

笑いながらひとくちつまんで、おいしいな、と澤村は言った。母に伝えておくんでと平然よそおって返すのも、最近はすこし上手くなった月島だ。

澤村はあれから、昼休みのたび月島のとろに来るようになった。いわく、「月島のお母さんの弁当がおいしいから」とのことだがたまったものではない。まったく迷惑だ。そう思ってしばらくは校舎の裏や空き教室に避難したのにそれさえもなぜか見つけられた。ストーカーですか? と半ば真剣にきいたら実は携帯のGPSで…と返され青ざめた。冗談だった。ふざけろ。

そんなわけでどこに行っても結局は見つけられてしまうので、最近はもうあきらめて元の準備室で過ごすようになった。クラスはどうだとか、部活で困ったことはないかとか、澤村はあれこれうるさかったがそれもそのうち慣れた。うまいうまいと弁当をつまみ食いされるのも、それほど悪い気はしない。

「たまご焼きももらっていい?」
「ダメ。それ最後に残しておいたやつだし」
「ちぇー」

明日はもうすこし多めに焼いてこようと思いながら箸をおいて、弁当箱をとじる。ご飯も終わったしいつもみたく寝るのかなと澤村を見やったが、今日の澤村は椅子から立ち上がろうとはしなかった。パックいりのコーヒー牛乳をくわえながら、あのさ、と話しかけてくる。

「もうすぐ中間だけど、過去問とかいる? 月島のことだし、あんまり心配はしてないんだけどさ、あるといくらかちがうかなって」
「べつに…へいき」
「ん、そっか。…あ、でもほら、日向とか、たぶんあの辺やばいだろ? だからさ、」
「っ……いんじゃないの、バカはバカなりに苦労すれば」

思いがけず口調が強くなってしまってはっとする。澤村はつかのまきょとんとしていたが、それから苦笑した。

「いや、いつも俺ばっか、楽しいとか、おいしいとか、言ってるじゃん? たまにはほら、先輩っぽくさ、役に立つことでもしてやりたかったんだけど」

よけいなお世話だったかなと頭をかく澤村に、気付いたときには口をひらいていた。

「数学の、今やってる公式のとこが、その、ちょっと……」

そうして澤村のパアッと明るくなる顔を見て、しまったと思うのだ。しかし悔やんだってもう遅い。じゃあ明日の放課後図書室な、と澤村はもう約束を勝手に取り決めていた。ちょうどテストの一週間前で部活はないから、それを口実に断ることができないのは、実に残念なことだった。

翌日の六限目が終わると、月島は早々に席を立った。べつに、約束を楽しみにしていたわけではない。図書室の中でも目立たない席をとりたかったから、ただそれだけのことだ。教室を出ようとすると、しかし山口に呼ばれて立ち止まる。

「ツッキー今日よかったらさあ、勉強会来ない? 一年とかでやることになってんの。…あっその、まあ日向とかも来るけどさ、旭さんとかも面倒見てくれるって、」
「…わるいけど、」
「あっ、そっか? そうだよね、ごめんごめん、」

言い終わる前に山口はそう言ってくしゃと笑い、それからふと声をひそめた。

「あのさ、もしかしてツッキー、……カノジョできた?」
「っ!?」
「いや、ちがったらごめんだけど…なんか最近、昼休みとか、妙に楽しそうだからさ、」
「た、楽しくない!」
「えっ、そ、そう…? えと、ごめんね?」

引き気味の山口にはっとして言い直す。

「いや、その…このごろ、……野良猫に、懐かれてて」
「あっ、なんだ、そうなんだ?」

へへ、ツッキーに彼女できて先越されちゃったのかと思って、じつは焦ってたんだオレ。なんてすなおに鼻頭をかく山口に嘘をつくのはなんだか気が引けたが、今度ネコ紹介してね、と言うのにあいまいにうなずいて、月島は今度こそ教室を出た。約束になってしまったから嫌々図書室にむかう自分の顔は、きっと、ちっとも楽しそうになんか、見えないはずだった。

すこし話し込んでいたせいか、図書室に着くと澤村はもう先に着いていた。目立つ席はいやだったのに、ご丁寧にも入口はいってすぐの席でがっかりだ。移動を切り出すのも面倒で、しかたなく向かいに座る。図書室はテスト前のせいか、こころなし人が多いように見えた。それぞれ自分のノートにいっぱいいっぱいのようだったし、知っている顔もなかったから、声をかけられることもなさそうですこしほっとした。

「数T? 数A?」
「あ、Tのほう」

本当は教わるところもなかったから、教科書のてきとうなところを開いて見せると澤村はああこれやったやったと、懐かしそうにつぶやいた。

「どのへんがわかんないの?」
「えっと…この、応用のとこ」
「ああ、これは――」

澤村は教えるのが上手かった。部活の部長をしているくらいだから、人の面倒を見るのは慣れているのだろう。落ち着いた低い声は順序立てて丁寧に数式をひもといていく。きれいな声だな、と思った。普段は口うるさくておせっかいで、その上横暴だから、気づかなかったけれど、よく聞いてみれば低く澄んだ、大人っぽい声をしていると思う。月島の声は神経質にすこしだけ高いから、よけいにそう感じるのかもしれなかった。

「……で、聞いてる?」
「え、…あ、はい」
「じゃあこのページの問題ね」 「はっ? これ、全部?」
「だって自分で解いてみるのが一番早いだろ」
「〜〜っ」

わかってるのにと言えたらどんなにか楽だろうか。教科書の練習問題はざっと五問ほど並んでいてどれも面倒だったが、しかたなくシャーペンを取り出した。うん、いい子いい子と満足げな声を、一瞬でもきれいだとか思ってしまった自分は、消し去ってしまいたい。

機械的に練習問題を解いていると不意に、図書室の入り口がざわついて顔を上げる。

「……あ、」

眉間に皺のよるのは、見ずともわかった。そこには静かにと注意される、バレー部の同級たちが立っていたからだ。

「あれっ、部長! ……と、月島?」

(……なんだよそのおまけ扱い)
大声を上げたせいでまた注意された日向がスミマセンと頭をさげて、こちらにやってくる。影山や山口、それから田中や旭たちも一緒だった。どうやらさっき話していた勉強会らしい。嫌なところで出くわしてしまった。そう思っていると、向かいに座っていた澤村がにこやかに片手をあげる。

「お前たちも勉強? ここ空いてるけど、よかったら一緒に見てやろっか?」
「えっ、マジすか? うお超助かる〜!」

目を輝かせた田中が澤村のとなりに座ったのを見て、日向たちもぞろぞろと周りに集まった。そうして気が付けばバレー部のほとんどが勢ぞろいだ。それぞれ教科書やら参考書やら取り出しはじめたのを見て、面倒なことになったと月島は舌打ちしたくなる。ツッキー部長に教えてもらうなら言ってくれたらよかったのにという山口にはてきとうな返事をした。

不機嫌な月島とは対称に、澤村は楽しそうだった。部活では生意気な影山なども勉強は不得手なのか素直に質問していて、澤村も愛想よくそれに答えている。となりの田中は澤村にべったりだし、旭でさえ、ときおりわからないところがあると澤村にきいていた。

月島は黙々と問題を解く。一ページ終えて顔を上げると、澤村は日向の英語と奮闘しているところだった。ため息をついて立ち上がる。

「僕ちょっと用事あるんで、先帰ります」

言い残して背を向けると澤村の声が追いかけてきたが、振り返りはしなかった。

本当にそのまま帰ってもよかったが、自分の教室がたまたま空いていたからそこでそのまま勉強することにした。家にめずらしく早く帰ったりすると家族にいろいろ押し付けられることがあるから、女系はまったくやっかいである。

数学はあまりやることがないから、英語の問題集をとりだしてそれに向かう。そうして小一時間ほどして、やっぱり残るんじゃなかったと後悔する。勉強はあまりはかどらなかった。澤村のせいだ。澤村のなにが悪いとはっきり言えるわけではないが、勉強していると澤村の姿がちらついてイライラするから、澤村のせいだ。

「はあ…、」

やっぱりもう帰ろうと問題集をとじると携帯が鳴って、なにげなく開けると澤村から電話だった。慌てて取り落しそうになり、握り締めたせいで通話ボタンを押してしまう。

「あ、」
『月島? 今、どこ』
「えっ? 教室……」
『1の4?』
「あ、はい」
『わかった』

それぎり電話は切れた。そういえば部活の連絡以外に電話がかかってきたのはこれが初めてだ、なんて思ってからはっとする。しまった。帰ると言って出てきたのに、澤村の勢いに飲まれておもわずバカ正直に答えてしまった。これじゃバカの代名詞の日向さえバカにできないではないか。頭抱えていると教室のうしろのドアがひらく。気まずさに顔を上げられずいれば、思いがけない声が降る。

「月島、ごめん」
「え?」

見上げると澤村はすこし息を切らしていて、ここまで走ってきたのがわかった。

「え、あの、……なんで、」
「おまえ、一ページ終わったんだろ? でも俺、見てやれなかったからさ、」

他の質問ぜんぶ片づけて急いで来たんだ。そう言って澤村はくしゃと笑った。なんて、おせっかいなやつなのだろう。唇をぎゅっと噛み締めて、数学のノートをわたすと澤村は、それはうれしそうにページをめくった。

   ***

高校入って最初の中間テストは、まずまず、というかかなりいい出来だった。入試のときの順番を知っているわけではないから、それが自分の順当な順位なのかどうか月島にはわからないが、それでもクラスの平均よりずっと上なのはたしかだ。

試験返却のホームルームは昼休みよりすこし前に終わって、いくらか迷ったが澤村の教室にいくことにした。不本意だがテスト勉強は教えてもらったのだから、たまには自分から、結果くらい伝えに行ってもいいかと思ったのだ。

慣れない三年の廊下、上級生のあいだをそそくさと通る。月島も一年にしてはかなり背の高い方だったが、やはり三年にもなると上背にくわえてがっしりした男子生徒や、大人びた女子生徒が多くてすこし緊張した。とにかく結果だけ簡潔につたえてさっさともどろう、そう決めて、澤村の教室をのぞく。ドアの近くにいればいいが、という希望は着いた瞬間に打ち砕かれた。澤村は窓辺で同級生に囲まれ笑っていたのだ。

クラス内でもまとめ役なのか、男子数人のグループの中で、澤村はほとんど真ん中に座っていた。近くの女子数人もまざって、中間試験はどうだったとか、受験がどうのとか、会話の端々がときおり聞こえてくる。同級生に囲まれて穏やかに微笑む澤村は、教室の入り口と、せいぜい窓際までの距離なのに、なぜだかひどく遠くに感じられた。

すっと踵を返して背を向けた瞬間、胸にドンとなにかが当たって、いたっ、と小さな悲鳴が上がる。すみませんと手を伸ばしたあと、よくよく見れば菅原だった。

「いたた……、月島? おまえ、なに、用事?」
「いや、べつに、」
「あ、わかった大地だろ?」
「! ち、ちが」
「呼んでやるから、ちょっと待ってな」
「ちがうって、言って――!」

るのに、空気の読めない副部長はおーいと部長を呼んだ。呼ばれた澤村が振り向く前には、月島はもう駆け出していた。

それから、どれくらい逃げただろうか。短い昼休みのあいだに、二か所、三か所と月島は居場所を変えた。移動するたび、必死に自分を探す澤村の姿を見たからだ。ポケットにつっこんだ携帯はうるさいので電源から切った。それでも澤村は月島をさがしつづけていた。屋上からも見えたし、校舎裏からも、食堂からも、図書室からも走っているのが見えたから、へたをするともう体育の長距離走くらいの距離はそうしているかもしれない。
今もきょろきょろと中庭を見回す澤村を、準備室の窓から見下ろしながら、どうして、そこまでして自分を探すのだろうと思った。

澤村にはほかに、もっとずっと仲のいい相手もいるはずだ。菅原だってそうだし、さきほど話していたクラスメイトも、それから部活の連中だって、月島よりずっと、澤村のことを慕っているにちがいない。それなのに、どうして自分のためにそこまでするのだろう。愛想の悪い、つまらない自分といるより、その人たちといるほうが、ずっと自然に見えるのに。

考え込んでいると、ガラリ、大きな音を立てて、乱暴にドアが開けられ思わずびくりとする。

「あ…」
「……探し、たんだ、けど?」

汗だくで息を切らした澤村は切れ切れにそう言って、ぴしゃりと後ろ手に扉をしめた。立てつけの悪いそのドアがそんなに素直にしまるのを見たのはこれが初めてである。こぶしで汗をぬぐってYシャツをあおぎ、いつもの古椅子に座った澤村は、で、なに、と言った。

「用があったんだろ、なに」
「え、えっと……あ、」

そういえば試験の結果を伝えに行ったのだと月島はようやく思い出したが、しかしそれを言えるような雰囲気でもない。口ごもると澤村は大きくため息をついた。

「あーもう……おまえさあ、いつもかまってほしそうな顏してるから、ほっとけないんだよ」
「! そんなの、してない、」
「うそだね。おまえすげーわかりやすいし。ちょっと見てれば好きなものとかも、あと嘘ついてんのもすぐわかるし。いつもは嘘も見逃してやるけど、今日は怒ってるから、ダメ」
「な…!」

言い返そうとすると、顔を上げた澤村と目が合って喉元で止まる。なんで逃げたの、と澤村は言った。

「電話も出ないし、つか途中で電源切れるし、」
「そ、れは、その…」
「俺、なんかした?」
「えっ?」
「おまえに逃げられるようなこと、なんか、したか?」

問われて月島は言葉に詰まった。怒っている、と言ったくせに澤村は妙にしおらしい、というより、悲しそうな顔をしていたからだ。(なんでそんな顔するんだ、そんなに僕に逃げられたのが悲しいのか)

「……アンタ、なんで僕なんか、追いかけるんだよ」
「え?」
「僕はアンタなんて…大嫌いだし、おせっかいやきだし、めんどくさいし、ぶあいそだし、……ほかに、昼だって一緒にいる相手、いくらだっているだろ」

最後の方は思わず声が震えて、目を合わせられずにいると、澤村は、なんだそんなことかと言った。

「は!? そんなことって、」
「とっくに言ったろ、俺、月島がいいんだよ。それだけ」
「!」

この男は、嘘偽りない本音ばかりこうやって投げつけてくるから、だから、月島はやっぱり嫌いだ。大嫌いだ。すっかり膝の力が抜けてしまった。へにゃりと床に座り込むと、澤村もとなりに座って、そして月島の手をつかむ。次また逃げたら俺の分の弁当も作らせるからと澤村は言った。(ああ、はじめっからばれていたんだ、やっぱりこの人はさいあくだ)そして予鈴が鳴ったくせに、俺疲れたから寝るといって肩にもたれてくる。

「ちょっと、待ってよ、これじゃ僕五限目出られない、」
「どうせ中間テストよかったんだろ。俺も成績内申なんも問題ないし、一時間くらい平気」
「っ、この、詐欺師!」
「うんおやすみ」

言うなり澤村はあっさりと眠ってしまった。本当に、いつみても驚くくらいの寝つきのよさだ。腹立たしい。予鈴が鳴っても戻ってこない親友を心配したのか、ポケットの携帯がやかましく鳴っている。月島はそっと携帯をとりだして、その着信を切った。





(2013.0225)